読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【152】俊頼にたずねよ


信認に足る歌人

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)と
紀貫之(きのつらゆき 三十五)ではどちらが優れた歌人であるか、
二人の歌人が論争して決着がつかず、白河院にお伺いをたてたそうです。

しかし白河院は
「自分にどうして決められよう、俊頼にたずねよ」と。

源俊頼(みなもとのとしより 七十四)は
白河院の命によって『金葉和歌集』を編纂した、当代一の大歌人でした。

俊頼は二人の意見をうなずきながら聞くと
「躬恒をあなどりなさいますな」とひと言。
貫之の負けならその理由を聞きたいと問い詰めても、
「躬恒をあなどってはなりません」と繰り返すばかりだったとか。

この話を伝えた俊頼の息子俊惠(しゅんえ 八十五)は、
躬恒の詠みくち、情感の豊かさは他に例がないほどであり、
俊頼はその点をほめたのだろうと推測しています。

百年以上前の歌人についての論争だったわけですが、
この逸話は白河院の俊頼に寄せる信頼の大きさを語っていると
考えてよいでしょう。

俊頼はライバル関係にあった藤原基俊(もととし 七十五)とともに
沈滞しつつあった歌壇を活性化させた人物。
古典重視の基俊に対し、俊頼は斬新な歌風で知られています。


庶民も歌う俊頼の歌

俊頼が藤原忠通(ただみち 七十六)の父
忠実(ただざね)に招かれていたある日のこと、
鏡宿の傀儡(くぐつ)たちが参上して歌を聞かせました。

鏡宿(かがみのしゅく)は近江にあった東山道の宿場です。
傀儡は人形を操ったり今様(いまよう)を歌ったりして
各地をめぐる芸能者のことで、
特定の宿場を拠点とすることもあったようです。

そのとき傀儡たちはいろいろな歌を披露したのですが、
なんとその中に俊頼の歌がありました。

世の中は憂き身にそへる影なれや 思ひ捨つれど離れざりけり
(千載和歌集 雑 源俊頼朝臣)

世の中というものはこのつらい我が身に添う影なのだろうか
捨てようと思っても離れないのだよ

これは俊頼が『堀河百首』という歌集に発表していたもの。
本人の知らぬ間に民間の遊芸に採り入れられていたのです。
俊頼もたいしたものではないか、ということになり
このできごとはまたたく間に多くの人に知られることになりました。

これが羨ましくてならなかったのが『堀河百首』の仲間だった
興福寺の僧、永縁(ようえん)でした。

永縁は琵琶法師たちに物を与えて手なずけ、
自分の詠んだほととぎすの初音の歌をあちこちで歌わせました。
買収工作が功を奏したのでしょう、永縁は「初音の僧正」と呼ばれて
すっかり有名になったそうです。

さらにこれを羨んだのが道因(八十二)でした。
ただ道因は歌え歌えと無理強いするだけで
なにも物を与えなかったので世間の笑いものになったとか。