読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【153】賢帝の昔を偲ぶ


為政者は質素であれ

吉田兼好の『徒然草』第二段は
「いにしへのひじりの御代の政(まつりごと)をも忘れ」で始まるもの。
ぜいたくを競う上流階級をいましめ、
昔の皇族、貴族の質素な暮らしを紹介する内容で、
その中に順徳院(じゅんとくいん 百)の言葉が出てきます。

順徳院の禁中の事ども書かせ給へるにも
おほやけの奉り物はおろそかなるをもってよしとす
とこそ侍れ

これは順徳院が書いた『禁秘抄(きんぴしょう)』のことです。
禁中(きんちゅう=宮中)の儀式や諸行事について記してあり、
兼好が引用したのは衣服に関する部分。
天皇の着る物は質素なものがよいという意味で、
おほやけ(公)は天皇を、たてまつりものは貴人の衣服を指します。

順徳院が質素を旨とした天皇だったことを念頭において
百人一首を読み返してみましょう。

ももしきや古き軒端のしのぶにも なほあまりある昔なりけり
(百 順徳院)

皇居の古びた軒端に生える忍草(しのぶぐさ)を見るにつけても
しのんでもしのびきれない昔であることよ

忍草が生えるほど古くなった宮殿を建て替えさせず、
はるかな昔の賢帝の御代(みよ)に思いを馳せる若き帝(みかど)。
その脳裏にあったのは兼好の言う聖(ひじり)の御代であって、
絢爛を極めた権力者の暮らしではなかったのです。


先人の名歌を活かす

忍草は軒忍(のきしのぶ)とも呼ばれる羊歯(しだ)の一種。
忍ぶ恋の歌に掛詞(かけことば)として使われるほか、
「偲ぶ」とも同音なので、昔を懐かしむ和歌にも用いられます。

印象深い作品がいくつもありますが、
よく知られているのは周防内侍(すおうのないし 六十七)でしょう。

住みわびて我さへ軒のしのぶ草 しのぶかたがたしげき宿かな
(金葉和歌集 雑 周防内侍)

住みづらくなってわたしは退(の)くことになったけれど
軒に生えている忍草のように
昔をしのぶあれこれの尽きない家ですこと

事情があって家を手放すことになった周防内侍。
この歌を亡き母や姉妹との思い出が詰まった家の柱に書きつけ、
名残を惜しんだと伝えられます。

順徳院はおそらくこの名歌を知っていて、
軒のしのぶ→昔を偲ぶ、という連想を借用したのでしょう。

もう一首、気になるのが藤原俊成(八十三)の歌です。

五月雨はまやの軒端のあまそゝぎ あまりなるまで濡るゝ袖かな
(新古今和歌集 雑 皇太后宮大夫俊成)

五月雨は真屋(まや=切妻の家)の軒端から雨だれを降らす
わたしの袖はあんまりだと思うほどに濡れているよ

袖が濡れるのはじつは恋のせいなのですが、
それより問題は「あまり」という一語。
廂(ひさし)の突き出たところをそう呼ぶのだそうで、
俊成は軒に縁のある言葉を用いて
「あまり」に濡れていると表現したわけです。

順徳院はかの定家(九十七)も一目置くほどの歌人でした。
俊成や周防内侍の歌をさりげなく採り入れて名歌を生むくらい、
容易なことだったのかもしれません。