『小倉百人一首』
あらかるた
【154】和泉式部つれづれの歌
歌につづったよしなしごと
「つれづれなるまゝに」思いついた「よしなしごと」を
あれこれ書き綴ったのは吉田兼好でした。
しかしその350年ほど前、和泉式部(五十六)も
つれづれにまかせたよしなしごとを歌に詠んでいました。
「よしなし」は「由無し」で
理由がない、根拠がないというのが本来の意味。それにしても、
人は暇になるととりとめのないことを考えてしまうようです。
和泉式部のつれづれの歌は全部で十八首あります。
最初の五首はこのようなもの。
夕暮れは宛(さなが)ら月になしはてゝ 闇てふことの無からましかば
夕暮れはすべて月の出ている夕暮れにしてしまって
夕闇なんてものがなかったらよいのに
おしなべて花は桜になしはてゝ 散るてふことの無からましかば
すべて同じように春の花は桜にしてしまって
散るということがなかったらよいのに
世の中に憂き身はなくて をしと思ふ人の命をとゞめましかば
世の中につらい身の上などなくて
愛しいと思う人の命が尽きなければよいのに
世の中は春と秋とになしはてゝ 夏と冬との無からましかば
世の中を春と秋にしてしまって
夏と冬がなくなってしまえばよいのに
みな人を同じ心になしはてゝ 思ふ思はぬ無からましかば
世の中の人をみな同じ心にしてしまって
好きになったりならなかったりがなくなればよいのに
和泉式部の願い
上記五首は「世の中がこうであってほしいこと」と題されています。
言いたいことはわかりますが、どれもこれも無理な願い。
これらのつぶやきはジョークのつもりなのでしょうか。
しかし「だれかにはっきりさせて欲しいこと」という題では
いづれをか世に無かれとは思ふべき 忘るゝ人と忘らるゝ身と
どちらをこの世になければよいと思ったらよいのでしょう
(恋人を)忘れる人と(恋人に)忘れられる人とでは
恋の歌人和泉式部らしい述懐ではないでしょうか。
同じ題でこういう歌もあります。
思へどもよそなる中と かつ見つゝ思はぬ中といづれ勝れり
恋しているのによそよそしい間柄と
いつも会っていて恋仲ではないのと
どちらがましなのでしょう
こんなことをツイッターに書いている人がいたら、
答えてあげるのとそっとしておくのと
どちらがよいのでしょう。