『小倉百人一首』
あらかるた
【158】わたのはら
雄大な海の光景
百人一首には「わたのはら」で始まる歌が二首あります。
小野篁(おののたかむら 十一)と藤原忠通(ただみち 七十六)ですね。
「わたのはら」は漢字で「大海原」や「海の原」と書き、
「わた」のみで「海」をあらわします。つまり
「わたのはら」は草原のように広がる広い海をあらわすわけです。
また「わたつみ」は海の神のことで「海神」と書きます。
和歌によく使われる「わたつうみ」はそれが転じてできた語とされ、
海そのもの、海原(うなばら)を指しています。
わたつ海のとよはた雲に入日さし こよひの月夜すみあかくこそ
(玉葉和歌集 秋 天智天皇御製)
大海の上の豊旗雲(=旗のようにたなびく雲)に夕日が差している
今夜の月は明るく澄んでいてほしいものだ
『万葉集』では第五句が「あきらけくこそ」となっていますが、
それはさておき、天智天皇(一)は海の夕焼けという雄大な光景を見て、
その美しさそのままの月夜になってくれと願っています。
源実朝(さねとも 九十三)の次の歌も
海ならではのスケールの大きさを感じさせるもの。
わたの原やへの潮路にとぶ雁の つばさのなみに秋風ぞふく
(新勅撰和歌集 秋 鎌倉右大臣)
大海原の幾重にもかさなる潮路の上_を飛んでいく雁の群れの
波のように連なる翼には秋風が吹いているよ
しほぢ(潮路)は潮の流れ、潮流をあらわし、
航路、海路という意味もあります。
それを「八重の」と呼ぶことで、実朝は
海の広さと雁の群れのはるかな旅を表現しています。
腹の立つわたの原?
同じ「わたのはら」を使いながら、
赤染衛門(あかぞめえもん 五十九)にこんな贈答歌があります。
わたの原たつ白浪の いかなれば名残久しく見ゆるなるらむ
(後拾遺和歌集 雑 兵衛督朝任)
大海原に白波が立つように腹が立ちましたが
どういうわけで恨みが尾を引くように感じられるのでしょう
赤染衛門を恨みに思っているという男からの歌。
「わたのはら」は「腹立つ」をみちびくために使われています。
「名残久し」は余韻が長びいていることを指すと思われ、
腹立ちが収まらないというのでしょう。
赤染衛門からの返事は
風はたゞおもはぬかたに吹きしかど わたの原たつ浪はなかりき
(後拾遺和歌集 雑 赤染衛門)
風が思いがけないほうに吹いてしまったけれど
(=あなたには誤解されてしまったらしいけれど)
大海原に波が立ってなどいませんでしたわ
(=お怒りになるようなことはなかったのですよ)
誤解なのだからお怒りにならないでくださいというもの。
恋人ではなさそうですが、ふたりは仲なおりできたのでしょうか。
最後は『新千載和歌集』の恋の歌を。
わたつ海の海にいでたる飾磨川 たえむ日にこそ我が恋やまめ
(新千載和歌集 恋 よみ人知らず)
大海原に注ぐ飾磨川(しかまがわ)よ
その流れの絶える日にこそ わたしの恋は終わるだろう
これももとは『万葉集』にあったもの。
播磨灘に注ぐ飾磨川の流れもいつかは絶えるかもしれない。
わたしの恋が終わるのはそのときだろうと。
もちろん流れが絶えるとは思っていないわけで、
じつは永遠にあなたを愛しつづけますという、熱烈な恋の歌なのです。
しかし余談ながら、飾磨川という名の川は現存していないそうで、
情熱的な万葉歌人の恋のゆくえが気になります。