読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【159】すだれの向こうに


顔を見せない女たち

ある春の夜のこと、
女房たちと語らっていた周防内侍(すおうのないし)が、
眠くなったのか「枕があればいいのに」とつぶやきました。

これを御簾(みす)のむこうで聞いていたのが藤原忠家(ただいえ)。
「これを枕に」と自分の腕を御簾の下から差し入れました。
そこで内侍が詠んだのが

春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ
(六十七 周防内侍)

春の夜の夢にすぎない(=ほんのひと時の)手枕(たまくら)のせいで
つまらない浮き名が立ったりしたら残念ですわ

ただの友だちなのに、恋人だといううわさが立ったらどうするの。
「腕(かいな)」と「甲斐なく」を掛詞にした一首で
忠家をたしなめたのですね。

友だちどうしがなぜ御簾を隔てて会話していたのか、
不思議に思う方もあるかもしれませんが、
貴族の女性は家族や侍女たち以外の人には顔を見せませんでした。

会うといっても簾(すだれ)などの物越し。
男は姿の見えない女性と会話していたわけで、
藤原基俊(もととし 七十五)の家集にも
こんなエピソードが書かれています。

基俊がある女性と終夜(よもすがら)話をしていたところ、
御簾のむこうから物音ひとつ聞こえなくなってしまいました。
眠ってしまったのですかと声をかけると、こういう返事が

思へたゞまだ引き寄せぬ梓弓 ひとりは人のねいるものかは
(基俊集)

考えてもごらんなさい
あなたがいらっしゃるのにひとりで勝手に寝入るものですか

梓弓(あずさゆみ)は「ひく」や「いる」に掛かる枕詞。
弓をまだ引いていないのだからね「いる」はずがないと、
寝ぼけていたらとうてい詠めそうもない歌が返ってきたのです。


簾が演出した再会のドラマ

貴族女性は室内だけでなく、外出時も顔を隠していました。
牛車の簾も乗り降りするときしか上げませんから、
だれが乗っているのかわからないのがふつうでした。

しかし偶然というのはあるもので、
藤原冬嗣(ふゆつぐ)はこんな体験をしています。

奈良の春日神社に詣でる途中、冬嗣は
佐保川のほとりで女性用の牛車に出会いました。
初瀬(はせ)からの帰りとおぼしきその車は簾がわずかに開いており、
どんな女性だろうとちらっと中を見た冬嗣は驚きます。

それはかつて深く愛しあった人。
事情があって別れてしまい、すでに六ほどが経っていました。
冬嗣はすぐ歌を詠み、女性の車に届けさせました。

ふるさとの佐保の川水けふもなほ かくてあふせはうれしかりけり
(後撰和歌集 雑 閑院左大臣)

古い都の佐保川の水は今日も変わらず流れていますが
こうやって(かつてあれほどなじんだあなたに)
お会いできたのはうれしいことでした

川の縁語である「逢瀬(あふせ=おうせ)」が使われていて、
実際に川のほとりだったというのがロマンチック。
たまたま簾のすき間から顔が見えたというのも、
顔を見せない習慣があったからこそのドラマチックな展開といえます。

冬嗣の脳裏には、一瞬でかつての愛の日々がよみがえりました。
佐保川の水はいつも同じように流れている、
それと同じようにわたしたちも(当然のように)愛しあっていましたね。

「ふるさと」には「古都」という意味のほかに
「昔なじみの土地」という意味もありますから、
女性に対するなつかしい思いも込められているのでしょう。