『小倉百人一首』
あらかるた
【160】恋の諸相
イケメン貴公子の苦い初恋
百人一首の藤原実方(さねかた)の歌には
「女にはじめてつかはしける」と詞書(ことばがき)があり、
初恋の歌ではないかと考えられています。
かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしもしらじな燃ゆる思ひを
(五十一 藤原実方朝臣)
「これほどに」とも告白できないわたしの
伊吹山のさしも草のように燃える思いを よもやご存じないでしょうね
実方の家集によれば、
実方はこの女性の家の格子の外で夜を明かし、
明け方にふたたび歌を贈っています。
あけがたきふたみの浦による波に 袖のみ濡れし沖つしま人
(実方朝臣集)
なかなか夜が明けない二見浦に寄せる波に
(格子を開けてもらえないわたしは)沖の島人のように
袖ばかり濡らして(=泣いてばかり)います
初恋は失恋に終わることが多いといいますが、
モテモテのイケメンとして有名な実方にも
苦い初恋があったのですね。
基俊が詠む恋の変遷
藤原基俊(もととし 七十五)の家集『基俊集』には
「はじめの恋」から「年経たる恋」まで
何段階かの恋の歌が載せられています。
すこしばかり抜粋してみましょう。
はじめの恋
人知れぬ恋にはまけじと思ふにも うつせみの世ぞかなしかりける
密かな恋のつらさには負けまいと思うけれど
実際のところそんな関係は悲しいものでしたよ
「うつせみ」は「世」の枕詞で、本来の意味は「今ここにある身」。
「世」はこの場合男女の仲をあらわすと考えられます。
つらい恋に耐えてみせようと思うけれど、
それは生身の人間(←うつせみ)である自分には悲しいものだったと
現実の世(←これもうつせみ)を嘆いています。
あしたの恋
月草にすれる衣の 朝露にかへる今朝さへ恋しきやなぞ
露草に擦れて染まった衣が 朝露に濡れてもとにもどり
(あなたと夜を過ごして朝露の中を)帰る今朝でもなお
あなたが恋しいのはなぜでしょう
「あした」は「朝」、「月草(つきくさ)」は露草のことです。
露草は染まりやすい反面すぐ色が落ちるので、
人の心の移ろいやすさにたとえられます。
望みどおりに会えたのだから恋は順調なように思えますが、
男は恋人の心変わりを恐れているのですね。
さて、ふたりの関係も
長くつづくとほころびが出はじめるらしく…
としへたる恋
人ごゝろ何を頼みて 水無瀬川瀬々の古ぐひ朽ちはてにけむ
人の心は何を頼りにすればよいのだろう
水無瀬(みなせ)川の浅瀬に打ち込まれた古い杭のように
あのころの思いも朽ち果ててしまった
いつまでもと誓い合ったはずのふたり。
しかし人の心はあてにならないものだったというのです。
ハッピーエンドの歌がありませんが、
基俊の歌は実方のような実体験にもとづくものではなく、
連作和歌として恋の諸相を描いてみせたものです。
同情することなく(笑)状況設定と和歌のうまさを味わいましょう。
→実方についてはバックナンバー《清少納言の恋人》もご覧ください。