『小倉百人一首』
あらかるた
【161】「み」のある話
理由をあらわす一文字
天智天皇(一)の歌の「苫(とま)をあらみ」の「み」、
源重之(みなもとのしげゆき)の「風をいたみ」や
崇徳院(すとくいん 七十七)の「瀬を早み」の「み」は
形容詞の語幹について原因、理由をあらわします。
風をいたみ岩うつ浪の おのれのみくだけてものを思ふ頃かな
(四十八 源重之)
風が激しく吹くせいで岩に打ち寄せる波が砕け散る
そのように自分だけが心を砕いて悩んでいるこのごろです
この用法は『万葉集』に多く見られるものです。
よく知られているのが山部赤人(四)のこの歌。
春の野にすみれ摘みにと来し我れそ 野をなつかしみ一夜寝にける
(万葉集巻第八 山部赤人)
春の野原にすみれを摘みに来たわたしは
野原に心惹かれて一晩寝てしまいましたよ
「なつかし」は「なつく」から出た形容詞で、
離れたくない、親しみを感じる、といった意味合いで使われます。
野宿したのは、そこから離れたくなかったからだというのですね。
赤人の「み」といえば、この一首もはずせません。
わかの浦に潮満ちくれば 潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる
(万葉集巻第六 山部赤人)
和歌の浦に潮が満ちてくると 潟(かた=干潟)がなくなるので
葦(あし)の生えた岸辺にむかって鶴が鳴きながら飛んでいくよ
遠いことのもどかしさ
理由の「み」はそれ以後の王朝和歌にもよく見られます。
しかし平安時代にはすでに一般的な用語ではなくなっていたそうで、
和歌の世界だけで生き残っていたのだとか。
たしかに一文字だけで理由を示せるのは便利であり、
説明的にひびかないのも好都合だったのでしょう。
「月清み」「風寒み」「山高み」など、さまざまな例がありますが、
ここでは「遠み」を二首見てみましょう。
道遠み行きてはみねどさくら花 心をやりてけふはかへりぬ
(後拾遺和歌集 春 平兼盛)
道が遠いから行ってはみなかったけれど 桜の花よ
心だけはおまえにとどけて 今日は帰ってきたよ
平兼盛(たいらのかねもり 四十)の山桜の歌です。
源融(みなもとのとおる 十四)の河原院(かわらのいん)を訪れていて、
遠くの山に桜の咲いているのに気づいた兼盛、
見に行く時間がなかったのを桜に言い訳しているような…。
いっぽう藤原定家(九十七)の息子為家(ためいえ)は、
船旅で感じたもどかしさを「遠み」で表現しています。
湊風さむきうきねのかり枕 都をとほみ妹夢にみゆ
(玉葉和歌集 旅 前大納言為家)
湊(みなと)に吹く風が寒く 船の上で寝る旅の枕に
都が遠いので(=会えないので)あなたには夢でお会いしましたよ
「浮寝(うきね)」は停泊中の船で寝ること、
「仮枕(かりまくら)」は仮眠することを指します。
会いに行けない愛しい人に夢で会ったのは、ほんの一瞬だったのでしょう。