読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【164】夢かうつつか


夢のほうがましだった?

百人一首に「誰をかも」が採られている
藤原興風(おきかぜ 三十四)に、こういう恋の歌があります。

逢ひみてもかひなかりけり うばたまのはかなき夢におとるうつゝは
(新古今和歌集 恋 藤原興風)

あなたにお会いしても お会いした甲斐がありませんでした
はかないはずの夢に劣るような現実だったとは

作者は夢で恋人に会っていたのでしょう。
現(うつつ)が夢に劣るとは、
実際に会った相手は夢で会ったときより冷たかったのですね。

藤原公教(きんのり)もこのように詠んでいます。

うたゝねにあふと見つるは うつゝにてつらきを夢と思はましかは
(金葉和歌集 恋 藤原公教)

うたた寝をしてあなたに会う夢を見てしまったよ
現実にはあなたはつれなくて(会ってくれないのだから)
そちらを夢だと思うことにしようか

夢と現実を入れ替えたいくらいに
思い人(=恋人)は薄情だったのでしょうか。


闇のうつつ

「うつつ」は現実に存在するという意味の形容詞
「うつし」から生じた言葉だそうです。
和歌に用いられるときは「夢」とセットにされることが多く、
在原業平(ありわらのなりひら 十七)のこの歌はよく知られています。

駿河なる宇津の山べの うつゝにも夢にも人にあはぬなりけり
(伊勢物語)

駿河の国の宇津の山にさしかかりましたが
うつつにも夢にもあなたに会うことがないのですよ

東海道の難所のひとつ宇津谷峠(うつのやとうげ)で
旧知の僧に出会った業平(とおぼしき男)が、
都の女性にことづけしたという一首。

昼でも暗い細い道だったとありますから、
暗い→夜→夢、という連想がはたらいているのかもしれません。

しかし式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)が詠んだのは
闇の中のうつつでした。

つかのまの闇のうつゝもまだ知らぬ 夢より夢にまよひぬるかな
(続拾遺和歌集 恋 式子内親王)

つかの間の闇の中の(実際の)逢瀬もまだ知らず
夢から夢へとさまよっているのです

恋するふたりの逢瀬は夜と決まっていました。
闇の中の出会いをうつつに(=実際に)経験しないまま、
恋の夢を見つづける苦しさ。

夢と現実を入れ替えたい、なんていう歌より心にしみますが、
内親王はせつなさを感じさせる恋の歌の名手でした。
状況設定と感情移入がたくみな歌人だったのです。