『小倉百人一首』
あらかるた
【121】愛執の定家葛
墓にからまる恋の思い
痩女(やせおんな)と呼ばれる、ちょっとめずらしい能面があります。
名のとおりやせ衰えた女をあらわすもので、これを用いる
代表的な演目のひとつが金春禅竹(こんぱるぜんちく)作の『定家』。
式子内親王(しょくしないしんのう 八十九)を演じる
シテ(=主役)がこの面を着けるのですが、
なぜ内親王はやせ衰えてしまったのでしょう。
謡曲『定家』はこんなストーリーです。
旅の僧が都の千本(せんぼん)辺りで時雨(しぐれ)に遭い、
偶然見かけた四阿(あずまや)で雨宿りしようとします。
するとそこに若い女が現れ、ここは藤原定家(九十七)の建てた
「時雨の亭(ちん)」であると教え、僧を式子内親王の墓に案内します。
女は内親王と定家の禁じられた恋のいきさつを語ったあと、
死後も定家の執心は収まらず、内親王の墓に
葛(かずら)となってまとわりついているのだと告げて消えていきます。
後半、墓前で僧が読経していると
痩女の姿をした内親王の霊が現れます。
地獄の責め苦のために見る影もなくやせてしまっていたのです。
内親王は苦痛がやわらいだと読経の礼を述べ、
舞いを舞って墓の中にもどっていくのですが、
経文の功徳で一旦はほどけた葛が再びまとわりつき
墓を覆い隠してしまいます。
実在する定家葛
謡曲は二人の恋は邪恋であるとみなしているので、
あの世で結ばれるどころか、死後に苦しみを受けることになっています。
かつて斎院という神聖な存在だった高貴な女性と
臣下に過ぎない男との許されぬ恋だからというのです。
以前に《皇女に生まれて》の回に書いたように
内親王と定家の恋は想像の産物でしかないラブストーリーです。
しかし題材として面白かったのか、伝説化されてさまざまに語り継がれ、
ついにはこのような謡曲が生まれることになりました。
曲中で墓にからまる葛を「定家葛」と呼んでいますが、
テイカカズラという植物が実在します。
山や野原に自生する地味な低木で、
紅葉するので庭木にする例もあるようです。秋から初冬にかけて、
細長い袋状の実をつけているのを見たことのある人もいるでしょう。
もともと別の名前があったと思われますが、
だれがこんな愛執の物語にちなんだ名をつけたのでしょうね。
時雨の亭の跡地とされる場所(上京区今出川通千本)には
般舟院(はんじゅういん)という寺院が建てられています。
正式名称は般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)。
式子内親王の墓とされる塚はそのすぐそばにあります。
伝説から想像されるような凄みはなく、葛もまとわりついていません。