『小倉百人一首』
あらかるた
【122】恋の代詠
夢に見えたその人は
今ではどうかわかりませんが、
かつてはラブレターを友だちに書いてもらう人がいました。
文章が苦手、字が下手、なんていう人は平安時代にもいましたが、
当時はラブレターに和歌を添えるのが常識だったため、
歌の不得意な人は
歌だけをだれかに詠んでもらうことがありました。
和泉式部(五十六)は
生まれて初めてラブレターを書くという男に頼まれて
こんな歌を詠んであげています。
おぼめくな誰ともなくて 宵々に夢に見えけむ我ぞその人
(後拾遺和歌集 恋 和泉式部)
いぶかしがらないでください
宵ごとにあなたの夢に見えたのはほかでもない
このわたしなのです
熱い思いは夢の中の道を通って愛しい人のもとに届き、
自分の姿が相手に見えるものと信じられていました。
毎夜毎夜思いつづけているので
わたしはあなたの夢に見えているでしょうと、
一途な恋を告白する内容になっています。
このようにだれかの代わりに歌を詠むのを代詠(だいえい)といいます。
清原元輔(四十二)の「契りきな」はその代表的なものですが、
百人一首歌人でもっとも代詠の多いのが、おそらく赤染衛門(五十九)。
「やすらはで」の歌も姉妹のもとに通う男が
約束を違えて訪問しなかった翌朝、代わりに詠んだものでした。
赤染衛門は娘のためにも歌を詠んでいます。
いつも通ってくる男が、狩りに行くというので
娘に預けておいた太刀を取りによこしました。それに対し
かりにぞと言はぬさきより頼まれず たちとまるべき心ならねば
(千載和歌集 恋 赤染衛門)
狩りに(仮に)なんておっしゃる以前から
あてにしてなどおりませんわ
立ち止まろう(腰を落ち着けよう)とするお心ではないのですから
太刀を取りにやっただけで
あなたの恋は本気ではないんでしょうと皮肉を言われたわけで、
相手の男はやりにくいなあと思ったのでは。
女心を詠む男
赤染衛門の曽孫(ひまご)大江匡房(おおえのまさふさ 七十三)も
よく代詠を頼まれていたようです。
なかでも微笑ましいのがこの歌。
夢とのみ思ひなしつゝあるものを 何なか/\におどろかすらむ
(続後撰和歌集 恋 前中納言匡房)
あなたとの恋は夢だったのだと思うことにしていましたのに
急に会いに来て恋心を覚まさせるなんてどういうおつもりなの
長いこと音沙汰のなかった男が突然やってきたのです。
せっかく諦めていたのにそんなことされたら、
また好きになっちゃうじゃないの。
怒ってはいるものの本気で恨んではいない
微妙な女心が詠われています。
和泉式部の歌は女が男の立場で詠んだもの、
匡房の歌は男が女心を詠ったものでした。
優れた歌人にとって、異性になり代わって詠むくらいのことは
むずかしくなかったのでしょう。