『小倉百人一首』
あらかるた
【123】悲しみに寄り添って
夢に見えたその人は
紫式部(五十七)や赤染衛門(五十九)の同僚だった
伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)に興味深い代詠があります。
〔詞書〕
思ふ人ふたりありけるおとこなくなりて侍りけるに
すゑにものいはれける人にかはりてもとの女のもとにつかはしける
深さこそ藤のたもとはまさるらめ 涙はおなじ色にこそしめ
(後拾遺和歌集 哀傷 伊勢大輔)
恋人が二人いる男が亡くなりました。
この歌は、あとから恋人になった人に代わって
最初からの恋人のもとに贈ったもの。
藤衣(ふじごろも=喪服の異称)の袂(たもと)のような
悲しみの深さはあなたのほうが勝っていることでしょう。
でも涙の色に染まっているのはわたしも同じなのです。
もはやライバルではなくなったはずの二人。
しかしこの歌は悲しみを分かち合いましょうと言っているのか、
なおライバル意識がのこっているのか、
判然としない詠いぶりです。
どんな返事が来たのか気になりますね。
切なる願いを汲みとって
源俊頼(みなもとのとしより 七十四)も
嘆きにくれている人のために歌を詠んでいます。
自分のもとを訪れなくなった男が
まだ交際があるかのように言いふらしているのを知った女、
ひと言伝えたいと思い、俊頼に代詠を頼みました。
いとゞしく朽ちぬる袖に ぬれ衣を引きかさねても歎くころかな
(新続古今和歌集 恋 源俊頼朝臣)
そうでなくても(涙をぬぐいつづけて)朽ちてしまったこの袖に
(ありもしない恋をしているという)濡衣(ぬれぎぬ)を重ねて
嘆いているこのごろです
男が通ってこなくなれば恋は終わり。
待つしかない女にはそれだけでも大きな痛手です。
それなのにまだ男が交際していると言いつづければ、
単なる嘘というだけでなく
女の新たな恋の機会を奪うことにもなります。
ずいぶん身勝手な男だと思いますが、
はたしてこの切なる願いは男の心に届いたのでしょうか。