読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【125】むべ山風を推理する


山+風=嵐

知性的だとほめられたり、ただの言葉遊びとけなされたり、
落差の大きいのが文屋康秀(ふんやのやすひで)のこの歌。

吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風をあらしといふらむ
(二十二 文屋康秀)

吹けばたちまち秋の草木がしおれてしまうから
なるほど山から吹き下ろす風を嵐(荒し)と呼ぶのだろう

たしかに「山」と「風」を縦に書くと「嵐」になるという、
文字の形から思いついた冗談のようにも思えます。
しかし草木を枯らすほどの冷たく激しい風を思い浮かべれば、
優れた歌だと実感できるのではないでしょうか。

話はそれますが、
活字のなかった時代、書物は書写によって広まりました。
くずし字で書かれることの多かった和歌は誤写されることが多く、
たとえば曾禰好忠(そねのよしただ 四十六)の家集では
同じ歌がこのように異なって伝えられています。 

深山には端山の嵐あらげなり 椎の風折れ幾十(いくそ)かくれり
(好忠集 年中日次歌)

奥深い山には里近い山の嵐がさらに激しく吹いているのだろう
風に枝を折られた椎の木が何十となくかくれているよ

深山には山の山風あらげなり 椎の風折れ幾十かゝれり
(同上 異本)

奥深い山では山ならではの山風が激しく吹いているのだろう
風に折られた椎(しい)の木の枝が何十となく懸かっているよ 

「嵐」と「山風」のくいちがいは誤写、
「く」と「ゝ」のちがいも写しそこないでしょう。
どちらがオリジナルなのか、どちらにも誤写があるのか、
原本が伝わっていないため、今ではたしかめようがありません。


秋+心=愁

康秀より後の時代の藤原季通(すえみち)が
「むべ山風を」によく似た歌を詠んでいます。

ことごとに悲しかりけり むべしこそ秋の心をうれへといひけれ
(千載和歌集 秋 藤原季通)

何もかもが悲しいのだったよ
だからこそ秋の心を愁いと言ったのだな

「秋」と「心」を縦に書くと「愁」になります。
むべ(=なるほどもっともなことだ)と言ってみたり
真似をしたように思えますが、本歌は別のところにありました。
平安初期の学者・漢詩人・歌人である小野篁(おののたかむら 十一)が
こういう漢詩を作っていたのです。

物の色は自(おのづか)ら客の意(こころ)を傷ましむるに堪へたり
まさに宜(うべ)なり愁(うれへ)の字をもて秋の心に作れること
(和漢朗詠集 秋 小野篁)

(秋は)万物の景色が自然と旅人の心をつらくさせる
愁という字が秋と心の二字を合わせて作ってあるのはもっともなことだ

原詩:物色自堪傷客意 宜将愁字作秋心

「うべ」は「むべ」の古い表記。
篁は康秀より前の時代の人ですから、
実は康秀も篁の影響を受けていたのかもしれません。