『小倉百人一首』
あらかるた
【127】恋は神代の昔から
古事記にもある恋の歌
百人一首は43首が恋の歌。
私的空間のインテリアだったことを思えば不思議はありませんが、
和歌はもともと恋の歌が多いのです。
勅撰和歌集を見ると『古今和歌集』以下多くの歌集が
全20巻のうち5巻を恋歌に充てており、
『後撰和歌集』では6巻、つまり三割が恋歌になっています。
いずれも春歌や秋歌より巻数が多いわけです。
勅撰和歌集の編纂は国家事業として行われますから、
国が作った歌集に採られた歌は恋歌が最も多いということになります。
さかのぼれば『万葉集』も恋歌の宝庫でした。
さらにさかのぼって『古事記』の歌謡を見てみると、
そこにもやはり恋歌が…。
あしひきの山田を作り 山高み下樋(したび)をわしせ
下どひに我がとふ妹を 下泣きに我が泣く妻を
昨夜(こぞ)こそはやすく肌触れ
(古事記歌謡 79)
山に田を作り 山が高いので地中に樋(とい)を通す
(そんなふうに)こっそり通う恋人を 忍び泣く妻を
昨夜は気兼ねなく肌を触れて抱いていたよ
後朝(きぬぎぬ)の歌です。
最後にある「肌を触れる」という表現は勅撰和歌集に見当たらず、
平安時代以降は公の場で禁句になっていたのかもしれません。
しかし8世紀初頭には、このような直接的表現の恋歌が
歴史書として書かれた書物に堂々と載せられていました。
忘れられた恋
『古事記』はまた、
雄略天皇のこのようなエピソードを伝えています。
美和川の川辺で衣を洗う乙女に出会った天皇はその美貌に恋してしまい、
宮廷に召し入れるから結婚せずに待っているようにと告げます。
乙女はそれを信じて待っていましたが、
音沙汰もないままに80年の月日が流れました。
老女となった乙女は
せめて長年待ちつづけたことを伝えておきたいと思い、
天皇に献上する品々を従者に持たせて宮廷に向かいます。
天皇はすっかり約束を忘れていたのですが、
申し訳ないとは思っても、今さら結婚できる年齢ではありません。
引田(ひけた)の若栗栖原(わかくるすはら)
若くへに率寝(いね)てましもの 老いにけるかも
(古事記歌謡 93)
引田の若い栗林のように
若いうちに共寝すればよかったのに 年老いてしまったことだ
天皇がそう歌うと、老女は涙とともに歌を返しました。
日下江(くさかえ)の入江の蓮(はちす) 花蓮(はなはちす)
身の盛り人ともしきろかも
(古事記歌謡 95)
日下江の入江の蓮 花の咲く蓮のように
今が盛りの若い人がうらやましいことです
二人が出会った美和川は流れ流れて日下の入江に注いでいるのだとか。
老女は長い時の流れの中で変わり果てた我が身を嘆いたのですね。
天皇が悔やんでいるのがせめてもの救いですが、
恋の歌の贈答としてはめずらしい内容で、
おとぎ話を読んでいるような気がします。