『小倉百人一首』
あらかるた
【128】親になって知る親心
母への感謝をこめて
藤原定家(九十七)はその晩年、
みずから撰した『新勅撰和歌集』に母の詠んだ歌を載せました。
息子定家が少将に昇進した喜びを詠った一首です。
みかさやま道踏みそめし月影に 今ぞこゝろのやみは晴れぬる
(新勅撰和歌集 雑 権中納言定家母)
三笠山の道を歩き始めた月の光(=昇進した息子の姿)に
今やわたしの心の闇は晴れました(=心配ごとはなくなりました)
定家が少将になったのは二十九歳の時でしたから
すでに長い月日が流れていました。しかし定家は
歴史に残るであろう勅撰集に歌を載せることで、
母への感謝の気持を示したのでしょう。
母の歌にある「心の闇」は藤原兼輔(かねすけ 二十七)の
次の歌に由来します。
人の親の心は闇にあらねども 子を思ふ道にまどひぬるかな
(後撰集 雑 兼輔朝臣)
子を持つ親の心は闇というわけではないが
子どものことになると道に迷ったようにうろたえるものですな
娘の身の上を案ずる父親の気持を述懐したもの。
この歌は曽孫(ひまご)の紫式部が『源氏物語』に
たびたび引用したことでも知られます。
親になって知る親心
親の気持は親になってはじめてわかるといわれます。
藤原基良(もとよし)にはこんな歌が。
たらちねの心のやみを知るものは 子を思ふ時の涙なりけり
(続古今和歌集 雑 前大納言基良)
たらちね(=親)の心の闇を知っているのは
子を思うときの涙である、という擬人法。
自分が子どもを思って涙を流すようになって
ようやく親の心の闇(=心配、迷い)というものを実感したのでしょう。
また親のありがたみも後になってわかるようで、
垂乳根のありていさめし言の葉は なきあとにこそ思ひしらるれ
(新後拾遺和歌集 雑 前大納言為氏)
垂乳根(たらちね=親)の忠告や意見をうるさいと思っていたが、
親の亡き後になってその言葉の重みがわかったと。
たらちねの親のいさめの形見とて ならひしことの音をのみぞなく
(続拾遺和歌集 雑 藤原公世朝臣)
作者は琴を弾いていて親を思い出したと言っています。
「ならひしこと」は琴を習ったということと
身についたこと、習慣になったことを指しています。
我が身に残る習慣を親の形見と考えて、涙とともに偲んでいるのですね。
「孝行をしたい時分に親はなし」という川柳がありましたが、
それは平均寿命の短かった昔の話。
今のわたしたちは感謝を示す機会に恵まれていると言えそうです。