『小倉百人一首』
あらかるた
【129】嘆きの浜千鳥
消えゆく砂浜
日本各地で砂浜が減少しています。
砂が海流に流されていく一方で、新しい砂が供給されないのです。
たとえば遠州灘に臨む長い長い砂浜はあちこちで大きくえぐられ、
波消しブロックの数ばかりが増えています。
この砂浜の砂の供給源はおもに天竜川ですが、
いくつものダムによってせき止められているため、
海まで運ばれる砂はほんのわずか。
砂浜が消えたり石だけが残って石浜になったりすると
海辺の生態系も変わることになり、
砂浜につきものの千鳥の姿も減っていくことに。
淡路島かよふ千鳥の鳴くこゑに いく夜ねざめぬ須磨の関守
(七十八 源兼昌)
淡路島から通ってくる千鳥の鳴き声で
幾夜目を覚ましたことだろうか 須磨の関の番人は
兼昌(かねまさ)の時代にくらべたら
須磨の千鳥も少なくなっていることでしょう。
千鳥は恋の鳥
季節の鳥ではないのですが、和歌にあらわれる千鳥はほとんどが冬。
恋の歌にも多く詠われ、足跡が波に消されることから
「跡なし」を導くこともあります。
白波の打ちいづるはまの浜千鳥 跡やたへぬるしるべなるらむ
(後撰和歌集 恋 朝忠朝臣)
白波の現れる浜にいる浜千鳥は(波に足跡が消されるので)
あなたとの恋が跡形もなく終わることを示しているのでしょう
藤原朝忠(あさただ 四十四)の歌は典型的な一首。
しかし相模(さがみ 六十五)はその逆をいきます。
いかにせむ潮干の磯の浜千鳥 ふみゆく跡も隠れなき身を
(続後撰和歌集 恋 相模)
どうしたらよいのでしょう 潮の引いた磯の浜千鳥のように
砂を踏んだ跡(=手紙を出した痕跡)が知れ渡ってしまう我が身を
潮が引いているので足跡が消えないのです。
「踏み」と「文」を掛詞にしたこの嘆きの歌は
自分の手紙を他人に見せようとする恋人に贈ったものでした。
つくづくと思ひあかしの浦千鳥 波の枕になく/\ぞ聞く
(新古今和歌集 恋 権中納言公経)
しみじみとあなたを思いながら夜を明かし
泣きながら波の音とともに明石の浦の千鳥の声を聞いています
入道前太政大臣こと藤原公経(きんつね 九十六)の歌。
千鳥の鳴き声は伴侶を求めて鳴く悲しいものとされていました。
自分も千鳥のようにあなたを思って泣いていましたというのです。
千鳥も今では、広々とした砂浜や
恋の歌に詠まれた時代を懐かしんでいるかもしれません。