読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【131】天皇がくれた花嫁


鎌足の特別待遇

『万葉集』巻第二の巻頭は相聞(そうもん)。
恋心や親愛の情を述べた歌が集められています。

その中にある天智天皇(一)の歌は
「鏡王女(かがみのおほきみ)に賜ふ御歌」と詞書のある
このような一首。 

妹が家も継ぎて見ましを 大和なる大嶋の嶺に家もあらましを
(万葉集 巻第二 91 天智天皇)

君の家をいつも見ていたいものだ
大和の大嶋の峰にわたしの家があったらいいのに 

天智がまだ皇子(中大兄皇子)だったころの歌です。
鏡王女はあの額田王(ぬかたのおおきみ)の姉で、
天智は妹より先に姉のほうを寵愛していました。

鏡王女からの返歌は 

秋山の樹の下隠り逝く水の 我こそまさめ思ほすよりは
(万葉集 巻第二 92 鏡王女)

秋の山の木々の下に隠れて流れる水のように
わたしのほうがあなたがお思いになるよりもずっと
お会いしたいと願っております 

相思相愛だったことがうかがえます。
しかしその次にある王女の歌は、
中大兄ではなく藤原鎌足に贈った相聞歌です。 

たまくしげ覆ふをやすみあけていなば 君が名はあれど我が名し惜しも
(万葉集 巻第二 93 鏡王女)

玉櫛笥に蓋をする(二人の関係を隠す)のはたやすいといって
夜が明けてからお帰りになるなんてことをなさると
あなたがうわさになるだけでなく わたしまで浮名が立つのが惜しいわ 

それに対する鎌足からの返歌はこのようなものでした。 

たまくしげ将見円山のさなかづら さ寝ずはつひにありかつましじ
(万葉集 巻第二 94 内大臣藤原卿)

将見円山(みもろのやま←三室山か)のさな葛ではないけれど
いつまでもさ寝ず(共寝もせず)にはいられないでしょう 

ラブラブですね。
「さな葛」は三条右大臣藤原定方(さだかた 二十五)の
「名にしおはば」に出てくる「さねかづら」と同じです。

王女と鎌足が熱愛関係になったのにはわけがあり、
天智天皇が鏡王女を臣下の鎌足に与えていたのです。

王女は鎌足の妻になったのですから、
うわさになってもまったく問題はありません。
秘密めかしたこのやりとりは親しみを込めた冗談なのでしょう。

『万葉集』ではもう一つ、鎌足の歌がつづきます。 

我はもや安見児得たり 皆人の得難にすといふ安見児得たり
(万葉集 巻第二 95 内大臣藤原卿)

わたしはなんと安見児(やすみこ)を手に入れたぞ
だれもが得難いと言っている安見児を手に入れたぞ 

安見児という女性の詳細は不明ですが、
鎌足が大喜びしているのは安見児が采女(うねめ)だったからです。
采女は諸国の豪族が一族のうちの美女を選んで天皇に献上したもの。
安見児はその中でもとくに目立つ美女だったのでしょう。

天智が鎌足に与えたのですが、采女を臣下に賜うなど例外中の例外です。
天智と鎌足はかつて二人して蘇我氏を討ち、
大化の改新を成功させた盟友でした。
その後も右腕として自分を支えつづけてくれる鎌足を
大切に思えばこその特別待遇だったのでしょう。