読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【133】不遇歌人のユーモア


忠岑をはげます貫之

三十番歌「有明の」の歌人壬生忠岑(みぶのただみね)のために、
紀貫之(きのつらゆき 三十五)がこんな歌を詠んでいます。

降りぬとていたくな侘びそ 春雨のたゞに止むべきものならなくに
(後撰和歌集 春 紀貫之)

降ったからといってひどく思い悩みなさるな
春雨はただ止むものではないのだから
(止んでからはよいことがあるだろうさ)

忠岑が左近衛府(さこんえふ=宮中の警護にあたる役所)の
番長を努めていたとき、友人の貫之によこした手紙の中に
身の上を歎いていると書いてありました。

番長は長官に随身する下級幹部です。
壬生一族は奈良時代には宮城を守る精鋭であったらしく、
その子孫の自分が長官職に就けないのが、忠岑は不満だったので
しょう。

貫之の歌は、
今は不遇なまま時が経った(=経りぬ)けれど
これが過ぎればよいことがあるだろうと、
忠岑をはげましているのです。

ところがその後、忠岑をさらに嘆かせる配置転換が。

左近衛府は右近衛府とともに近衛府(このえふ)に属し
内裏の天皇の御座所まわりを担当します。
その外側の警護を担うのが兵衛府(ひょうえふ)で、
もっとも外側を担当するのが衛門府(えもんふ)です。

忠岑は五十歳を過ぎて、この衛門府に転任させられたのです。
忠岑は御座所から遠ざけられたのは左遷であると受け止め、
不満は収まることがありませんでした。


没落氏族の悲哀

忠岑と同時代の藤原敏行(十八)は右近衛少将を努めていました。
同じ近衛府に勤務し、歌人同士でもあり、
親交があったことをうかがわせるエピソードも伝わりますが、
身分の上では将官と下士官という隔たりがありました。

これは藤原と壬生という氏族の力の差というしかありません。
忠岑の息子忠見(ただみ 四十一)が
父親よりさらに不遇だったことからわかるように、
壬生一族は衰退していく定めだったようです。

そんなこんなで嘆きの歌が少なくない忠岑、
最後は趣の異なる歌で締めくくりましょう。

命にもまさりて惜しくあるものは 見果てぬ夢のさむるなりけり
(古今和歌集 恋 壬生忠岑)

命は惜しいが それよりも惜しいのは
見終わらない夢がさめてしまうことだったよ

『古今和歌集』には詞書がないのでわかりにくいのですが、
家集などによると、逢えなくなってしまった女性が夢に現れ、
その夢が終わらないうちに目が覚めてしまったのだそうです。

夢が命より惜しいはずがないので、もちろんこれはユーモア。
こんなこと言いながらじつは忠岑、
もう一度寝て夢のつづきを見ていたかも。