『小倉百人一首』
あらかるた
【134】西行は僧侶である
青年武士の出家
西行は平安末期から鎌倉時代初期にかけて活動した大歌人。
先祖には平将門の乱を平定した英雄
俵藤太秀郷(たわらとうだひでさと)がおり、
西行も佐藤義清(のりきよ)という武士でした。
若くして和歌の才を発揮し、昇進のほうも順調だったのに
義清は二十三歳で突然出家。人々を驚かせたと伝えられます。
出家の理由はわかっていないのですが、
家集『山家集』には出家を考えていたころの歌が載せられています。
そらになる心は春の霞にて よにあらじとも思ひたつかな
(山家集 春)
落ち着かない私の心は春の霞のようなもので
この世の中に留まるまいという気持になるのです
「霞」と「立つ」は縁語。
憂き世にとどまることなく出家したいと思い、
ただよう春霞のように心が揺れ動いていたようです。
自由をもとめて
佐藤義清は鳥羽院(在位1107-1123)に仕えていました。
いよいよ出家の決心がつき、
辞表を提出する際に詠んだというのがこの歌です。
惜しむとて惜しまれぬべき此の世かは 身を捨てゝこそ身をも助けめ
(玉葉和歌集 雑 西行法師)
惜しむといっても惜しむほどの(値打ちのある)この世でしょうか
この身を捨ててこそ身を救うことができるでしょう
身を捨てて身を助けるというのは
どういう意味なのでしょうか。
同じころ詠んだと思われるこんな歌もあります。
身を捨つる人はまことに捨つるかは 捨てぬ人こそ捨つるなりけれ
(詞花和歌集 雑 西行法師)
身を捨てて仏道に励む人はほんとうに我が身を捨てたのだろうか
むしろ捨てずにいる人こそ 身を捨てたことになるのだ
命を捨てる覚悟で修行に励むことを捨身(しゃしん)といいます。
そのように捨て身で悟りを得ようとする人よりも、
汚れたこの世で我が身を顧みずにいる人のほうが
自分を棄てた(=大切にしない)ことになるのだと、
おそらく西行はそう言っているのでしょう。
西行は出家しても山に籠るようなことはせず、
各地を旅して歌を詠み、都の人々との交友もつづけていました。
出家という立場に身を置くことで俗世のしがらみを断ち、
仏教を学ぶことで煩悩のくびきから解き放たれ、
自由で平穏な日々を得ようとしたのでしょう。
同時代の人々が西行に憧れたのは
そのあたりにも理由がありそうです。