読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【135】西へ行く人


西方浄土への憧れ

待賢門院堀河(たいけんもんいんほりかわ 八十)が
仁和寺(にんなじ)に滞在していたときのこと、
西行は堀河を訪問する約束をすっぽかしてしまいました。
後日、月の明るい夜に西行が寺の門前を通っていると、
だれが知らせたのか、堀河から歌が届けられました。

西へ行くしるべと思ふ月影の 空だのめこそかひなかりけれ
(山家集 雑 待賢門院堀河)

西方浄土へ行く手引きと思っていたあなたが
今宵の月のように通り過ぎてしまいました
むなしい期待をしてしまって甲斐のないことでしたわ

西行は言い訳っぽい歌を返していますが、
それはさておき、
「西へ行く」というのは西行の名にかけたシャレ。
同時に西方浄土(さいほうじょうど)に赴くことを指しています。

阿弥陀仏(あみだぶつ)の浄土は西方にあるとされており、
その清らかな苦しみのない世界に生まれ変わる(=往生する)ことを
当時の人々は願っていました。
堀河は西行に浄土に行くための心得を聞きたかったのかもしれません。


来て欲しくない「お迎え」

寺院などで見られる来迎図(らいごうず)は西方の山の彼方から
阿弥陀如来(あみだにょらい)が菩薩(ぼさつ)たちを従えて
衆生(しゅじょう=人々)を救いに訪れるさまを描いたもの。
これが「お迎え」です。

来迎図は平安時代中頃から急速に普及しており、
多くの人々がその具体的なイメージを抱いていたと思われます。
「西」はあこがれの方角でもあったわけですが、
清少納言(六十二)は現世への未練たっぷりの歌を詠んでいます。

月みれば老いぬる身こそ悲しけれ 遂には山の端にやかくれん
(玉葉和歌集 雑 清少納言)

月を見ていると老いたわが身が悲しいわ
わたしも最後にはあの月のように山の陰にかくれていくのね
(西方浄土に去っていくのね)

藤原実定(さねさだ 八十一)にいたっては

西へゆく月の何とて急ぐらむ 山のあなたも同じうき世を
(玉葉和歌集 雑 後徳大寺左大臣)

西へ行く月はなぜ急ぐのだろう
山の向こうもこちらと同じような憂き世だというのに

清少納言と同じように月を見て詠んでいても、
こちらはそもそも浄土が存在しないかのよう。
実定は左大臣職を辞した最晩年に病を得て出家しています。
法名は如円といって「西」の字はついていませんが、
西方浄土への往生は願わなかったのでしょうか。