『小倉百人一首』
あらかるた
【143】春の初めの歌枕〔前〕
春の歌語に定番あり?
『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』には
平安時代の末頃に女芸人たちが歌っていたという
数々の今様(いまよう=流行歌)が収められています。
恋から宗教までさまざまなテーマの今様がありますが、
和歌についてはこのようなものが。
春の初めの歌枕 霞たなびく吉野山
うぐひす 佐保姫 翁草 花を見捨てゝ帰る雁
初春の和歌によく使う言葉として
1)霞のたなびく吉野山
2)うぐいす
3)春の女神の佐保姫(さほひめ)
4)おきな草
5)桜を見ないで北へ帰る雁(かり)
という五つを挙げています。
実際にはどのように用いられたのでしょう。
百人一首歌人の作品を中心に
前後二回にわけて見ていきます。
春を告げる山と春を告げる鳥
◆霞たなびく吉野山
吉野山みねのしら雪いつ消えて 今朝は霞のたちかはるらむ
(拾遺和歌集 春 源重之)
吉野山の白雪はいつ消えてしまったのだろう
今朝は霞がその代わりに立ちのぼっているよ
吉野山は奈良県吉野町にあり、桜の名所としても知られます。
重之(しげゆき 四十八)の歌は立春から間もない春霞の光景。
しかし花の歌人西行(八十六)は同じ吉野山の霞のむこうに、
見えぬ桜をイメージして詠んでいます。
思ひやる心や花にゆかざらむ 霞こめたるみよしのゝ山
(山家集 春 西行)
桜に思いを馳せる我が心がどうして花に届かないことがあろうか
霞がたちこめる(花の見えない)吉野山ではあるけれど
◆うぐいす
春たてば花とや見らむ 白雪のかゝれる枝にうぐひすの鳴く
(古今和歌集 春 素性法師)
立春になったから花だと思ったのだろうか
白雪の降りかかる枝にうぐいすが鳴いているよ
素性法師(そせいほうし 二十一)の歌はうぐいすの勘違い。
このそそっかしい鳥は春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれますが、
それは大江千里(おおえのちさと 二十三)の
次の歌にもとづくといわれています。
鴬の谷よりいづるこゑなくは 春くることをたれか知らまし
(古今和歌集 春 大江千里)
うぐいすが谷から出てきて鳴く声を聞かなければ
春が来ることをだれが知るだろうか
シンプルなこの歌、長く愛誦されたといいますから、
共感する人が多かったのでしょう。
→次号につづく