『小倉百人一首』
あらかるた
【98】ことほぎの歌〔前〕
祝い歌コレクション
和歌集の部立(ぶだて=分類項目)の一つに
「賀歌(がのうた)」があります。
内容はめでたいことがあった人に贈った歌、
めでたいことがあって欲しい人に贈った歌。
言葉を尽くした祝い歌がずらりと並んでいます。
さて、人生最初のめでたいことといえば誕生です。
賀歌の部立が初めて用いられた『古今和歌集』から見てみましょう。
峯たかき春日の山にいづる日は くもる時なく照らすべらなり
(古今集 賀 典侍藤原因香朝臣)
峰の高い春日山に昇る日は(高貴なお生まれの春宮は)
曇る時なく(困難もなく)世を照らす(治められる)にちがいありません
延喜3年(903年)、醍醐(だいご)天皇の中宮穏子(おんし)に
保明(やすあきら)親王が誕生した際に、
藤原因香(ふじわらのよるか)が召されて詠んだもの。
生まれた時点で皇位継承は決まっていませんが、
考え得る最良の未来を想定して祝ったのでしょう。
いかにいかゞかぞへやるべき 八千歳のあまり久しき君がみよをば
(続古今集 賀 紫式部)
五十日の祝いの今日 どうやって数えたらよいのでしょう
八千歳(やちとせ)に余るほど長い若君のお歳を
これは『紫式部日記』にもある歌。
一条天皇の中宮彰子(しょうし)の産んだ若宮(後の後一条天皇)の
五十日(いか)の祝いが行われた際、
彰子の父である藤原道長から詠め詠めと責められて詠んだ一首でした。
五十日の祝いというのは
新生児が無事に50日目を迎えたことを祝うもので、
皇族や貴族はこれを盛大に行っていました。
祝いの屏風に歌を
次に結婚の祝いです。
藤原良経(九十一)の妹任子(にんし)が
後鳥羽天皇(九十九)に入内(じゅだい)した際、記念の屏風が作られ、
藤原定家(九十七)が歌を寄せています。
君が代を八千世とつくる小夜千鳥 島の外まで声ぞ聞こゆる
(続後拾遺集 賀 前中納言定家)
あなたのご寿命を夜の千鳥が八千世八千世と鳴いて祝っています
その声は島の外まで聞こえてくるほどです
屏風には島の磯に群れる千鳥が描かれていたのでしょう。
千鳥の鳴き声が「やちよやちよ」というのがほほえましいですね。
このように屏風に描かれた絵を題材にした和歌を
「屏風歌(びょうぶうた)」と呼びます。
百人一首では在原業平の「ちはやぶる」が屏風歌でした。
屏風は誕生、裳着(もぎ=女子の成人)、入内や
算賀(さんが=十年ごとに行う長寿の祝い)などの吉事に際して
作られることが多かったため、
屏風歌の多くが「賀歌」に分類されています。