『小倉百人一首』
あらかるた
【99】ことほぎの歌〔後〕
賀歌の基本は予祝にあり
「ことほぎ」は「言祝ぎ」と書き、
「言(こと)」によって「祝ぐ(ほぐ)」こと。
言葉には呪力があって、将来の幸福を口にすれば
いつか実現するものと信じられていました。
勅撰集の賀歌(がのうた)を見ても、現在の幸福を祝うより
めでたい言葉をつらねて将来の幸福を祝うものが目立ちます。
予め祝うので「予祝(よしゅく)」といいます。
さて、『古今和歌集』の賀歌巻頭にあるのは
我が君はちよにやちよに さゞれいしの巌となりて苔のむすまで
(古今集 賀 よみ人知らず)
あなたの寿命が千代にも八千代にも長く
小石が岩になって苔が生えるまでもつづきますように
「我が君」は自分の主君をあらわします。
「代・世(よ)」は人の一生を指すので、
主君に寿命の千倍も八千倍も長生きしてくださいというのです。
「さざれいし」は「細石」と書くように細かい石。
それが大きい岩になるというのは、各地に伝わる
成長する石の伝説を踏まえた表現でしょう。
※一部の神社などに、小石がたくさん集まって
一つの大きい石のように見えるものを「さざれ石」と名づけ、
参拝者に見せているところがあります。
小石の集合体が時を経て岩になるという考え方もあるようです。
詞書(ことばがき)がないのではっきりわかりませんが、
「我が君は」の歌はだれかの算賀(さんが)で詠まれたものでしょう。
平安時代は40歳になると四十の賀(しじゅうのが)を行って長寿を祝い、
その後10年ごとに五十の賀、六十の賀を行っていました。
真実味は避けるべき?
賀歌は歌会や歌合の席でも詠まれることがありました。
藤原良経(九十一)の次の歌は秋8月、満月の夜の歌合での一首。
月ならでたれかは知らむ 君が代に秋の今夜のいくめぐりとも
(続後拾遺集 賀 後京極摂政前太政大臣)
月以外の誰が知ることができましょうか
あなたのご生涯のうちに今夜のような秋の日が幾度めぐり来るのかを
命に限りある人間でなく、月だけがあなたの長寿を見ることができると。
おそらく歌合の主催者に対する言祝ぎでしょう。
大げさと言ってしまえばそれまでですが、
言祝ぎは真実味を追求するものではなかったのです。
さざれ石、月、松、菊など、
長寿の象徴や悠久の時をあらわす事物になぞらえて、
歌人たちはいかにスケールの大きい歌を詠むかを競っているようです。