『小倉百人一首』
あらかるた
【101】これがほんまの口語訳
昔もあった現代語訳
わたしたちは今、数々の古典の現代語訳を読むことができ、
古語に詳しくなくても百人一首や『源氏物語』が楽しめます。
このような訳が作られたのは現代に始まったことではなく、
実は昔からずっと作られつづけてきています。
さて、下記の友則の歌の現代語訳は
いつ頃のものかおわかりでしょうか。
〔原文〕
ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ
(三十三 紀友則)
〔訳〕
日の光ののどかなゆるりとした春の日ぢゃに
どう云ふことで花は此(この)やうにさわさわと
心ぜわしう散ることやら
訳したのは江戸時代中期の国学者、本居宣長です。
くだけた言葉遣いなので口語訳と呼んだほうがよいかもしれませんが、
これが300年ほど前の「現代語訳」です。
関西弁百人一首
何百年も経過した作品は
読める人、理解できる人が少なくなってしまうのが宿命。
平成の今、明治の福沢諭吉の現代語訳が出ているのですから、
100年ちょっと経ったくらいでもむずかしくなってしまうのでしょう。
村上春樹現代語訳の登場も遠くないかも…。
〔原文〕
住の江の岸による波 よるさへや夢のかよひぢ人めよくらむ
(十八 藤原敏行朝臣)
〔訳〕
昼ほんまにかよふ道では 人目をはばかるもそのはずのことぢゃが
夜夢に通ふと見る道でまで 人目をはばかってよけるやうに見るのは
どうしたことぢゃやら
「ほんとうに」が「ほんまに」なっているのは関西弁だから。
伊勢松坂に生まれ京都で活動していた宣長、
当時身近に使われていた言葉を活かして
古典和歌を親しみやすくしようと考えたのでしょう。
思い切った意訳を試みているのも
親しみやすさ、わかりやすさを優先したためと考えられます。
源融(みなもとのとおる)の歌はその好例です。
〔原文〕
陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに みだれそめにし我ならなくに
(十四 河原左大臣)
〔訳〕
たれゆゑにほかへ心をちらさうぞ
おまへよりほかに心をちらすわしぢゃないぞゑ
では、次の口語訳の原文はだれの歌でしょうか。
ゑえゝ 花の色はあれもう移ろうてしまうたわいなう 一度も見ずにさ
わしは連れ添ふて居る男について心苦なことがあって
何のとんぢゃくもなかった間に長雨が降ったりなどして
つい花はあのやうにまあ
ずいぶん説明的な気もしますが、そう
小野小町の「花の色はうつりにけりな」ですね。
江戸時代の町娘がしゃべっているような雰囲気があります。
これらを参考に各地の方言で訳してみたり
若者言葉に訳してみたりしても
おもしろい百人一首ができそうです。