『小倉百人一首』
あらかるた
【103】星の数ほど
満天の星に無関心?
「星の数ほど」というのは数えきれないほど多いという意味ですが、
今では「少ない」という意味で使いたくなるほど、
都市部では見える星の数が少なくなっています。
大気が澄んでいた平安時代には
どれだけたくさんの星が見えたことでしょう。
美しい星空は歌人たちの創作意欲を沸き立たせ、
星の歌が「星の数ほど」生まれた、かと思うとさにあらず。
七夕の歌を除くと、王朝歌人で星を詠った人はほとんどいません。
月をこそながめなれしか 星の夜のふかきあはれをこよひ知りぬる
(玉葉集 雑 建礼門院右京大夫)
これまで月ばかりを眺め慣れてきたようですわ
星の夜の深い情趣に今夜はじめて気がつきました
建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ)は
後鳥羽院(九十九)に仕えた鎌倉時代初期の女性歌人です。
藤原定家とはほぼ同世代。
この歌がきっかけになったということもないでしょうが、
彼女以降、星を詠う歌人が少しばかり見られるようになります。
星は脇役
右京大夫以前の歌人はほんとうに星を愛でていなかったのか、
百人一首歌人の星の歌を探してみました。
晴るゝ夜の星か河辺の螢かも 我が住むかたにあまのたく火か
(新古今集 雑 在原業平朝臣)
あれは晴れた夜の星なのか 川辺のほたるなのか
それともわたしの住む里で海人が焚く火なのだろうか
在原業平(十七)の歌。これだけでは
いったい何を見たのか、さっぱりわかりませんが、
『伊勢物語』によれば、それは海人の漁火(いさりび)でした。
くもりなき星の光をあふぎても あやまたぬ身をなほぞうたがふ
(新勅撰集 雑 後京極摂政前太政大臣)
わたしの心のように澄んだ星の光を仰ぎ見ても
過ちのない我が身を それでもなお正しかったかと疑ってしまう
悩める九条良経(九十一)の述懐の歌。
業平もそうですが、星そのものを愛でていませんね。
雲のうへの星かと見ゆる菊なれば 空にぞ千代の秋はしらるゝ
(続古今集 賀 待賢門院堀河)
雲の上の星のように見える菊の花ですから
天にもわが君の千秋の御代は知られていることでしょう
待賢門院堀河(八十)の場合も主役は星ではありません。
長寿の象徴である菊の花を星になぞらえて、
崇徳院(七十七)行幸の祝いの歌としたもの。
藤原敏行(十八)と藤原俊成(八十三)にも
菊を星にたとえた歌があり、やはり星は脇役でした。
星に詩情を感じたのは、やはり右京大夫が最初だったのでしょうか。