『小倉百人一首』
あらかるた
【105】古今巻頭歌の秘密
二度もずれた日本の暦
現在の七夕は梅雨のさなかにあたるので、
織姫と彦星の二星が無事に逢えたかどうか
確認できないことのほうが多くなっています。
これは明治六年にキリスト教暦を採り入れて月がずれてしまったためで、
もともと七夕は梅雨期の節供ではありませんでした。
旧暦で生活していた頃は、梅雨明けのよく晴れた夜空を見上げて
星空のロマンにひたることができたのです。
現在一部で行われている月遅れの七夕は本来の姿に近いことになります。
しかし、暦がずれたのは明治が初めてではありませんでした。
「勅を奉りて初めて元嘉暦と儀鳳暦とを行ふ」(持統紀)と
記されているように、飛鳥時代後期の持統天皇四年(690年)に
元嘉暦(げんかれき)と儀鳳暦(ぎほうれき)が採用され、
その際にすでに一か月ほど前にずれているのです。
むめがえに きゐるうぐひすや
はるかけて ハレ はるかけて
なけどもいまだや ゆきはふりつつ
アハレ そこよしや ゆきはふりつつ
(催馬楽・呂歌28)
古謡『梅枝(うめがえ)』の歌詞。
これは当時の人々のとまどいを表していると考えられています。
朝廷(=うぐいす)が暦を変えてしまい
もう正月(=春)だと言っているけれど、
まだ寒いじゃないか、雪が降っているじゃないかと。
わたしたちは年賀状に「初春」や「新春」と書きながら
実際はこれからもっと寒くなるのになぁと思ったりしますが、
1300年ほど前にも暦と実際の季節とのずれに
違和感を訴える人がいたのです。
今日は去年かまだ今年か
高校で習った方も多いと思いますが、
『古今和歌集』巻頭を飾るのは在原業平の孫
在原元方(ありわらのもとかた)のこの歌です。
年のうちに春は来にけり ひとゝせをこぞとやいはむことしとやいはむ
(古今集 春 在原元方)
年が替わらないうちに春が来た(立春になった)
この一年(ひととせ)の残りを去年というべきか 今年というべきか
正月になるまでの期間が「年のうち」です。
「ひととせ」は立春以後の大晦日までの期間を指すのでしょう。
今年(平成二十五年)の立春(二月四日)は
旧暦の十二月二十四日でしたから、
まさに「年のうちに春は来にけり」だったことになります。
ちなみに平成二十四年は、旧暦では閏三月(前話参照)のある年でした。
閏月のある年は日数が384日ほどあり、ない年は354日しかないので、
立春が年初と年末の二回ある年もあれば
一回も立春がない年もありました。
めずらしくもなんともない話なので、
正岡子規は元方の歌を「呆れ返った無趣味な歌」と酷評。
しかし藤原俊成(八十三)は「この歌まことに理(ことわり)つよく
又おかしくもきこえてありがたくよめる歌なり」と賞賛しています。
ちなみに『続後撰和歌集』の巻頭歌は俊成のこの歌です。
年のうちに春立ちぬとや 吉野山霞かゝれる峰のしら雲
(続後撰集 春 皇太后宮大夫俊成)
年のうちに立春になったそうだよ
吉野山の霞のかかった峰には白雲も出ている
年はまだ替わっていないけれど、
吉野山を見ると風景は春のように見えるというのでしょう。