読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【108】小野小町の実像


贈答歌が実在のあかし

あまりに多くの伝説が作られすぎて、
存在そのものが伝説ではないかといわれることもある小野小町。
実在の確かな人物との贈答歌が遺されていなかったら
本当に伝説上の人物にされてしまったことでしょう。

よく紹介されるのは文屋康秀(ふんやのやすひで 二十二)に
贈ったこの歌です。

わびぬれば身をうき草の根をたえて誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ
(古今和歌集 雑 小野小町)

わびしく思っていたので あなたが誘ってくださるのなら
この憂身が浮草が根をなくして流れるように ここを去ろうと思います

三河の国に赴任することになった康秀の
一緒に三河へ行きませんかという誘いに返した歌。
実際に三河に同行したかどうかわかりませんが、
親しい間柄だったのでしょう。

もう一つ、遍昭(へんじょう 十二)との贈答も有名です。

ある日石上寺(いそのかみでら)に詣でた小町、
日が暮れてしまったので帰京をあきらめ、寺に泊まることに。
するとだれかが、遍昭が寺にいると教えてくれました。
遍昭を試してみようと思った小町はこのような歌を贈ります。

いはの上に旅寝をすればいと寒し 苔の衣をわれにかさなむ
(後撰和歌集 雑 小野小町)

岩の上に旅寝をしているので寒くてたまりませんわ
あなたの苔の衣(=僧衣)をわたしに貸してくださいな

遍昭からはこういう返事がきました。

世をそむく苔の衣はたゞ一重 かさねばうとしいざ二人寝む
(後撰和歌集 雑 遍昭)

出家したわたしの粗末な衣は一重しかありませんが
貸さないのも失礼ですから さあ二人で寝ましょうか

石上を「岩の上」に変えて岩の縁語の「苔」を導き、
「苔の衣」が粗末な僧衣を表すのを承知でそう詠った小町。
「一重(ひとえ)」と「重ね/貸さね」でシャレを言い、
僧侶でありながら一緒に寝ましょうなどと戯れた遍昭。
冗談には冗談で返す、絶妙のやりとりです。


意外に少ない小町の恋歌

ほかに交遊がうかがわれるのは安倍清行(きよゆき)と小野貞樹(さだき)。
清行との贈答歌はさや当てっぽい内容ですが、
貞樹とは、どうも本当の恋人同士だったようです。

今はとてわが身しぐれにふりぬれば 言の葉さへにうつろひにけり
(古今和歌集 恋 小野小町)

今はもう 時雨に降られた木の葉のようにわたしも老いてしまったから
あなたの約束の言葉も同じように変わってしまったのですね

「降り」と「古り」を掛けて訪れなくなった男に贈った恨みの歌。
貞樹からの返歌はこのようなものでした。

人を思ふこゝろ木の葉にあらばこそ 風のまに/\散りもみだれめ
(古今和歌集 恋 小野貞樹)

あなたを思う心は木の葉ではないのだから
風に吹かれるままに散り乱れる(心が変わる)ことはありませんよ

モテモテの美女と思われがちな小町ですが、
遺された歌を見るかぎり、
それほど華やかな恋愛遍歴はなかったのかもしれません。

他者撰の家集『小町集』に収められた恋の歌の多くは、
実は『古今和歌集』などから採られたよみ人知らずでした。
恋多き女のイメージはあとから作られたものと考えたほうがよさそうです。