『小倉百人一首』
あらかるた
【109】ウィットの系譜
自慢の父ではあるけれど
清少納言は父親の清原元輔(もとすけ 四十二)をかなり意識していて、
元輔の娘と言われるのを誇らしく思ったり
重圧に感じたりしていたようです。
元輔は『後撰和歌集』編纂メンバーであり、
公任(五十五)によって三十六歌仙に選ばれるほどの歌人でした。
父親に対する高い評価はうれしいものの、
娘なのだからそれ相応の歌が詠めるだろうと
期待されるのがいやだったのです。
しかし時代が下ると
『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』の伝える逸話のせいで、
元輔は滑稽な人物というイメージが定着してしまいます。
元輔が賀茂祭の使者として一条大路を通ったとき、
貴族の見物が多いのを意識して馬をあおったため、
興奮した馬に鞍から振り落とされてしまいました。
冠が落ち禿頭がむき出しになった元輔、
従者が冠を被せようとあせるのもかまわず、
笑いこける見物衆に向かって演説をぶちはじめます。
立派な人間でもつまずくことがある、
石ころだらけのこの大路で馬がつまずくのは当然である。
髪の少ない人の冠が落ちやすいのは当たり前で、笑うことではない。
落馬がおかしいようだが、かつてあの人もこの人も
大事な場面で落馬したことがあるではないか、などなど。
かえって笑いを増幅させてしまった元輔、
『今昔』も『宇治拾遺』も
元輔は人を笑わせるのが得意だったと締めくくっています。
清少納言のウィットは父親ゆずり
その場に居合わせたようないきいきした描写は
作り話だろうと思わせるのに十分ですが、
元輔が機知に富んだユーモラスな人物だったからこそ、
こういう滑稽譚が作られたのでしょう。
本人はもちろん、清少納言も全く知らない伝説だと思われます。
〈詞書〉
ぬす人にあへりける又の日
人のもとよりきぬをおくりて侍りければ
浅からず思ひそめてし衣河 かゝるせにこそ袖も濡れけれ
(続後拾遺集 雑 清原元輔)
(盗人に遭うという災難を)身にしみて思い始めた頃合でした
このようなときだからこそ(感謝の)涙に袖が濡れたことでしたよ
泥棒に入られた翌日、
タイミングよく着物を贈ってくれた人への感謝の歌。
着物を携えてきた使者に持たせて帰したものと思われます。
掛詞や縁語を多用した技巧的な歌をとっさに詠んでみせたわけですから、
贈った人も安心したことでしょう。
清少納言の百人一首所収歌「夜をこめて」に見られる機転とユーモアは
父元輔ゆずりだったのかもしれません。