『小倉百人一首』
あらかるた
【110】自信に満ちた貴公子
エリート女房たちへの挑戦
52番歌「あけぬれば」の作者藤原道信(みちのぶ)について
源俊頼(としより 七十四)がこんなエピソードを伝えています。
道信が花の枝を手に内裏の清涼殿を歩いていたところ、
それに気づいた若い女房たちが声をかけました。
そんな素敵なものをお持ちになっていて、
そのまま通り過ぎておしまいになるつもりかしらと。
呼び止められた道信は
くちなしにちしほやちしほ染めてけり
と詠いかけて花を差し入れました。
女房たちが返事に窮していると、
即興の名手伊勢大輔(いせのたいふ 六十一)が
こはえもいはぬ花の色かな
と下の句を返したというのです。
梔子(くちなし→口無し)に対して
「えも言はぬ(=言いようもなく素晴らしい)」というジョーク。
ちなみに「ちしほ(千入)」は
布を染料に何度も何度も浸けて染めることをいいます。
一度だけ浸して染めるのが「ひとしほ(一入)」です。
それはともかく伊勢大輔がいたということは、
道信は中宮彰子の女房たちの前を(花を見せびらかしながら)
わざわざ通ったわけです。
彰子のもとには紫式部、和泉式部、赤染衛門など
当時のトップクラスの才女が集められていました。
そこにこんな遊びを仕掛けるとは、
道信がいかに自信満々の貴公子だったかがわかります。
後朝の歌
百人一首に選ばれたのは
あけぬれば暮るゝものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな
(五十二 藤原道信朝臣)
夜が明ければまた夕暮れがやってきてあなたに逢える
そうとは知りながらも恨めしい明け方であることよ
詞書に「女のもとより雪ふり侍りける日かへりて遣はしける」
とある歌ですが、『後拾遺和歌集』には
同日作とされる下記の歌も併載されています。
かへるさの道やはかはる かはらねどとくるにまどふ今朝の淡雪
(後拾遺集 恋 藤原道信朝臣)
帰り道はいつもとちがうのでしょうか
変わりはしませんが 今朝の淡雪が融けるのにとまどっているのです
「かへるさ」は「帰りがけ」。ぬかるみに足を取られて、
慣れたはずの道が歩きにくいというのです。
しかしこれは後朝(きぬぎぬ)の歌です。男がとまどっているのは
女がいつになく打ち解けてくれたからでしょう。
「とくる」には二つの意味が込められているのです。