『小倉百人一首』
あらかるた
【116】世の中十首
この世を何に例えたら
『後撰和歌集』の撰者として知られる
源順(みなもとのしたごう:911-983年)の家集に
このような比喩の歌10首が収められています。
世の中を何にたとへむ あかねさす朝日待つ間の萩の上の露
世の中を何にたとへむ 夕露も待たで消えぬる蕣(あさがお)の花
世の中を何にたとへむ 飛鳥川定めなき世にたぎつ水の泡
世の中を何にたとへむ うたたねの夢路ばかりにかよふ玉桙(たまほこ)
世の中を何にたとへむ 吹く風はゆくへも知らぬ峰のしらくも
世の中を何にたとへむ 水速みかつくづれゆく岸の姫松
世の中を何にたとへむ 秋の田をほのかに照らす宵のいなづま
世の中を何にたとへむ にごり江のそこにならでもやどる月影
世の中を何にたとへむ 草も木も枯れゆくころの野辺の虫の音
世の中を何にたとへむ 冬をあさみ降るとは見れど消ぬるしらゆき
〔語釈〕
「あかねさす」は「日」にかかる枕詞。
「たぎつ」はほとばしること。
「玉桙の」は「道」にかかる枕詞で、この場合は「道」そのもの。
「にごり江」は水の濁った入江や川のことで、
澄みにくさに住みにくさをかけることが多い。
順が世の中を例えたのは
露や泡、夢など、すぐ消えてしまうものばかり。
幼子を相次いで失った哀しみの中で詠まれたものなのだそうです。
順は奈良時代の歌人満誓(まんぜい)の歌からヒントを得ています。
世の中を何に喩へむ 朝開き漕ぎ去にし舟の跡なきがごと
(万葉集 巻第三 沙彌満誓)
世の中を何に例えたらよいだろう
夜明けとともに漕ぎ出していった船の航跡が
もう残っていないようなものだろうか
順は村上天皇のもとで、和歌所寄人(わかどころよりうど)として
『万葉集』に訓点を付ける仕事をしていましたから、
この歌は身近な歌だったのでしょう。
この世ははかないもの
順の場合は特殊な事情がありましたが、
古典和歌の世界で「世の中」というと
ほぼ100パーセントがむなしさ、はかなさを詠ったものです。
世の中を思ひつらねてながむれば むなしき空に消ゆる白雲
(新古今集 雑 皇太后宮大夫俊成)
世の中についていろいろ思い続け 考えてみたが
大空に浮かんでは消えていく白雲のようなものなのだな
俊成(八十三)が崇徳院(七十七)の『久安百首』に寄せた一首。
世の中を空の雲というはかないものに例えています。
俊成の百人一首所収歌「世の中よ」も世の中を厭う内容でしたが、
平安中期以降、世をはかなむ歌人はめずらしくなくなっていました。