『小倉百人一首』
あらかるた
【117】この世は夢か幻か
憂き世イメージの定着
世の中を「憂し」と見るのは仏教の影響と考えられています。
無常を説く仏教はこの世を夢や幻に例えて
有為転変(ういてんぺん=すべてのものは絶えず変化していて
同じ状態にとどまることはない)という考えを教えていました。
これを少々感情的に受け止めると、
不変のものはない→いずれ消滅してしまう→はかない→憂い
ということになり、この世も「憂き世」になってしまいます。
これもこれうき世の色をあぢきなく 秋のゝはらの花のうはつゆ
(拾遺愚草 藤原定家)
これもそうだよな 秋の野原の花に乗っている露のしずくも
憂き世にむなしく仮の姿を見せているだけなのだ
定家(九十七)は色(いろ)に色(しき)の意味を重ねています。
色(しき)は目で見ることのできるものを指す仏教語で
「色即是空(しきそくぜくう)」の「色」です。
この歌を見ると、定家は教えをきちんと理解していたようです。
幻よ夢ともいはじ 世の中はかくてきゝ見るはかなさぞこれ
(二見浦百首 無常五首 藤原定家)
幻とも夢とも言うまい
世の中はこうして聞いたり見たりするはかなさそのままだから
幻や夢に例えるまでもない世のはかなさ。
平家滅亡を目の当たりにした人ならではの思いでしょうか。
定家の時代、無常はただの理屈ではなくて実感できるものだったのです。
憂し憂し言うなら出家せよ
このあたりで軽いところを一首紹介しましょう。
定家より前の世代の、
まだ「憂き世」が流行語にすぎなかった時代の歌です。
いかにせむいかにかすべき 世の中をそむけばかなし住めば恨めし
(玉葉集 雑 和泉式部)
どうしましょう どうしたらいいのかしら
世を捨てたら悲しいし 捨てずに住みつづけたら辛いし
和泉式部(五十六)はすっかり迷ってしまっているようです。
平安時代も中期を過ぎると、世の中を「憂し」とするのが定番化。
だれもが似たような歌を詠んだせいで
すっかり新鮮味がなくなってしまいました。
南北朝時代の覚増(かくぞう)法親王(1363-1390)は
出家者の立場からこのように詠んでいます。
世の中を憂しとは誰もいひながら まことに捨つる人やすくなき
(新後拾遺集 雑 覚増法親王)
世の中を誰もがつらいといいながら
本当に世を捨てて出家する人の少ないことよ