『小倉百人一首』
あらかるた
【118】オチのある歌
的はずれかと思わせて
『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』や
『十訓抄(じっきんしょう)』などの説話集に
源有仁(みなもとのありひと)という大臣に仕えていた
和歌の得意な侍の話が載っています。
秋のある日、
はたおり(=きりぎりすの古名)が鳴くのを聞いていた大臣が
この虫を題に一首作れと命じました。
そこで侍が「あおやぎの~」と詠い出すと一座は大爆笑。
秋なのに春の風物の青柳を持ち出したからです。
しかし詩歌に通じていた大臣は笑わず、侍につづけるよう促します。
歌はこういうものでした。
あおやぎのみどりの糸をくりおきて 夏へて秋は機織りぞ鳴く
青柳を糸にみなすのはめずらしくありませんが、
その後の展開が意外でした。
青柳の糸を繰って(=つむいで)おいて、夏が過ぎ、秋が来た今、
機を織る音が聞こえている(はたおりが鳴いている)というのです。
大臣は大いに感動して、
侍に萩の模様を織った立派な衣を与えました。
ウケねらいに最適?
『著聞集』の著者は
この歌は紀友則(きのとものり 三十三)がある歌合(うたあわせ)で詠んだ
初雁(はつかり)の歌と同じ趣向であると書いています。
友則は「初雁」という題に対し
初句を「春霞(はるがすみ)」とする歌を作りました。
最初の五文字を聞いて人々は笑い出しましたが、
第二句の「かすみていにし」を聞いて静まりかえってしまいました。
友則の歌は
春霞かすみていにしかりがねは 今ぞなくなる秋霧の上に
というものでした。
春霞にかすんで見えなくなるようにして去っていった雁が、
今ふたたび秋の霧の上で(姿は見えないが)鳴いていると。
上記の歌は『古今和歌集』ではよみ人知らずとなっていて
友則の作品ではないかもしれません。
それはともかく、このような意表をつくオチのある和歌は
歌合などではよく詠まれたようです。
藤原定家(九十七)の例を見てみましょう。
内裏の歌合で詠んだもので、題は「秋風」でした。
治まれる民のくさばをみせ顔に なびく田の面(も)の秋の初かぜ
初句の「治まれる」は世の中が平和であるということ。
第二句の「民の草葉」は民草(たみくさ)とも言って国民のことです。
平和に暮らしている国民がどうして秋風と結びつくのか、
それは最後まで読んではじめて納得できます。
平和な国民をみせ顔に(=見せようとするように)
稲田の表面をなびかせて初めての秋風が吹いているというのです。
「なびく」は天皇の治世に国民が従うことを指しています。
定家は内裏での歌合を意識し、
「秋風」の題で天皇を賛美する歌を作ったことになります。
驚かせた後、おほめに預かったにちがいありません。