『小倉百人一首』
あらかるた
【120】隠者への憧れ
秀歌ぞろいの家集
百人一首に採られた藤原良経の「きりぎりす」の歌は
正治二年(1200年)の《後鳥羽院初度百首》で詠まれたものでした。
この百首はそのまま家集『秋篠月清集(あきしのげっせいしゅう)』に
収められています。
同じときに詠まれた別の秋の歌を見てみましょう。
三日月の有明の空にかはるまで 秋の幾夜をながめきぬらむ
(院初度百首 秋)
三日月は旧暦三日頃に西の空に見え、すぐ沈んでしまいます。
有明は夜が明けても月が空に残っていることをいい、旧暦十六日以降。
つまり少なくとも二週間くらいは秋の夜を「ながめ」てきたというのです。
多義語「ながむ」が活きています。
「眺む」なら幾夜も月を眺めてきたことになり、
「詠む」ならば毎晩詩歌を作って(吟じて)きたことになります。
また「ながむ」には「もの思いに沈む」という意味もあります。
良経はおそらく、それらすべての意味を込めて、
秋の夜ならではの情感を描き出したのです。
隠棲願望が生んだ清澄な歌風
『秋篠月清集』は良経の隠棲願望が表れているといわれます。
「南海漁夫」や「西洞隠士」といった筆名を用いたり
無常を意識した歌を詠んだりしているからですが、
俗を離れた清澄な歌風は良経最大の魅力といえるでしょう。
厭ふべきおなじ山路にわけきても 花ゆへおしくなるこの世かな
(花月百首)
俗世間を疎ましく思い 草を分けて山道を登ってきても
同じその山道に咲く花のために この世が惜しくなってしまうよ
寂しさや思ひよわると月見れば 心のそらぞ秋ふかくなる
(花月百首)
寂しさに気が弱くなり 月を見ると
心の中で秋が深まっていくよ
「心の空」というのは心を場所とみた言葉、
「旅の空」に共通する用法です。
月を見て心象風景としての秋が深まっていくのを感じるというのです。
悩みつつも良経は、しみじみとした秋の情感に満たされたのでしょう。