読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【75】天皇の名前


天皇の名は没後に決まる

百人一首には天智天皇はじめ持統、陽成、光孝、三条、
崇徳、後鳥羽、順徳という8人の天皇がいます。
これら天皇の呼び名は諡号(しごう)といって、
死後に贈られた諡(おくりな=贈名)です。
生前にそう呼ばれていたわけではありません。

在位中の天皇は今上(きんじょう)と呼びます。
昔の物語や文献類には主上(しゅじょう)や
上(うえ/かみ)という表現も出てきます。

天皇にはもちろん実名(本名)があり、たとえば
陽成天皇は貞明(さだあきら)、光孝天皇は時康(ときやす)でした。
通常は口にしない名前で、これを諱(いみな=忌名)といいます。
実名を忌むのは中国から伝わった習慣です。

諡(おくりな)は中国から導入された当初(7世紀末頃)は
生前の業績や徳を反映したものだったそうです。

しかし平安時代以降の天皇をみると、
三条天皇は譲位後に三条院に住んだので三条天皇、
白河天皇は同様に白河の御所に住んだので白河天皇、
というふうに御所の名を用いる例が出てきます。

厳密には諡ではなくて追号(ついごう)でしょうか。
嵯峨天皇は葬られた山陵(=墓)のある土地の名から
嵯峨天皇と呼ばれ、400年以上後に同じ嵯峨に葬られた天皇は
後嵯峨天皇と呼ばれています。

「後」の文字がつく天皇は後一条天皇以降何人もいますが、
譲位後に以前の天皇と同じ御所に住んだ、あるいは
同じ山陵に葬られたことによる命名が多いようです。

しかし建武の新政で知られる後醍醐天皇は
自身の遺言による命名だったとか。
理想の治世といわれた醍醐天皇に憧れていたのでしょう。


譲位後の呼びかた

譲位した天皇は上皇(じょうこう)、
あるいは太上(だいじょう)天皇という尊称で呼びます。
上皇が出家すると法皇(ほうおう)となります。

また上皇と法皇の双方を院(いん)といいますが、
それは上皇や法皇の住む御所を院と呼んだから。
院はもともと高垣で囲まれた立派な建物を指します。

保元の乱前夜、鳥羽と崇徳の二人の上皇がいた時期、
鳥羽上皇を本院、崇徳上皇を新院と呼んでいました。
若くして譲位する天皇が多かった時代は新旧の区別が必要だったのです。

もちろん上皇も法皇も生前は諡(おくりな)がありません。
後鳥羽院(ごとばのいん)も順徳院(じゅんとくいん)も
死後に現在のような諡号で呼ばれたのです。

ところで、諡は死んでから贈られる名前なので
戒名のようなものと思われるかもしれません。
しかし戒名は仏弟子となる際に与えられる仏教徒としての名前です。
本来は生前に受戒しないともらえないものだったのです。

また生前に出家していた場合は諡を贈らないのが原則でした。
天皇家の宗教である神道を捨てて仏弟子になったからですが、
この原則もあくまで原則に過ぎなかったようです。