読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【80】大江千里 謎の晩年


紫式部も千里を引用

前話で紹介した大江千里の『句題和歌』をひもといてみましょう。
全部で120首を超す和歌が収められており、
巻頭を飾るのはこの歌。

山高みたちくる霧にむすればや なくうぐひすのこゑのまれなる

山が高いので立ち昇る霧にむせるのだろうか
うぐいすの鳴く声がまれにしか聞こえないのは

うぐいすが霧にむせるという発想は漢詩固有のもの。
残念ながらこれに影響された和歌はほとんどありませんが、
春の朧月(おぼろづき)を詠んだ次の一首は多くの類歌を生みました。

照りもせずくもりも果てぬ春の夜の おぼろ月夜にしくものぞなき

照るわけでもなく曇ってしまうでもない春の夜の朧月夜
これに比べられるほどのものはないなぁ

この歌は『新古今和歌集』に入集しており、詞書によれば
『白氏文集』にある一節「明ならず暗ならず朧朧たる月」の翻案。
「月見れば」にならぶ代表作という評価もあり、
『源氏物語』の「花宴」で朧月夜の君が口ずさむのもこの歌です。


世代交代の悲運

千里の才能を活かしてくれた宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、
その後仁和寺(にんなじ)で出家して法皇となります。
もはや関心は歌より仏、というわけで、
歌人としての千里にはお声がかからなくなってしまいました。

『古今和歌集』の撰者は千里より若い世代の歌人たちが選ばれました。
千里は忘れられてしまったのでしょうか。
遺された歌に手がかりを探してみましょう。

世の中の心にかなはぬなど申しければ
ゆくさきたのもしき身にてかゝる事あるまじと人の申し侍りければ

流れての世をもたのまず 水の上の泡にきえぬるうき身と思へば
(後撰集 雑 大江千里)

〈詞書〉
自分は世の中に適わないなどと言ったところ
将来性のある身でそのようなことはあるまいと人が言ったので

流れるように変わっていく世の中を頼りにはしません
水に浮かぶ泡のように消えていくつらい身の上と思いますから

何か思うにまかせぬことが千里の身の上に起っていたようです。

都まで波立ち来ともきかなくに しばしだになど身の沈むらむ
(句題和歌 自詠)

都まで波及してくるとも聞かなかったのに
しばらくの間とはいえ なぜ不遇の時を送らねばならないのだろう

都から離れたところで事件が起り、
千里は疑いをかけられて蟄居させられた?
そんな想像をしてしまいますが、真相は闇の中です。