読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【84】手習いは難波津から


かな書きの練習

平安時代、かなの練習に
和歌が使われたことはよく知られています。
『源氏物語』では「若紫」の巻で、
源氏が見初めた少女若紫(のちの紫の上)がかなの練習をしています。

若紫を養育していた尼君は、源氏に
姫君はまだ難波津(なにわづ)さえはかばかしく書けないので
お手紙をいただいても困りますと伝えます。

難波津というのは『古今和歌集』の仮名序にあるこの歌を指します。

なにはづにさくやこの花 冬ごもりいまを春べとさくやこの花

難波津に梅の花が咲いている
冬ごもりをして 今こそ春だと花が咲いている

この歌はかるた大会で競技の開始前に読みあげられ、
百人一首には縁の深い和歌になっています。

仮名序によれば帰化人の王仁(わに)が仁徳天皇に奉った歌で、
文字を習う人が最初に書くのがこの歌だとあります。
「若紫」はそれを反映しているのですね。


平安時代の書体

『源氏物語』の少し前に成立した『うつほ物語』に
たいへん興味深い一節があります。
若宮に贈られた手習いの手本を紹介する場面。

黄ばみたる色紙に書きて山吹につけたるは 真にて春の詩
青き色紙に書きて松につけたるは 草にて夏の詩
赤き色紙に書きて卯の花につけたるは仮名
初めには男にてもあらず女にてもあらず あめつちぞ
その次に男手 放ち書きに書きて 同じ文字をさまざまに変へて書けり

わがかきて春に伝ふる水茎も
すみかはりてや見えむとすらむ
女手にて

まだ知らぬ紅葉と惑ふうとふうし
千鳥の跡もとまらざりけり
さし継ぎに

飛ぶ鳥に跡あるものと知らすれば
雲路は深くふみ通ひけむ
次に片仮名

いにしへも今行く先も
道々に思ふ心あり忘るなよ君
葦手

底清く澄むとも見えで行く水の 袖にも目にも絶えずもあるかな

と いと大きに書きて一巻にしたり(国譲・上)

最初の「真」は真名(まな)で漢字のこと。
次の「草」は草書で、この場合は万葉仮名の草書体でしょう。
「あめつち」は前回紹介した「いろは」以前の手習い詞。
「男手」は万葉仮名を指し、「女手」はひらがなです。

「葦手(あしで)」は葦を模して書いたともいわれる装飾文字。
『源氏物語』の「梅枝」の巻には絵の中に葦手を
散らし書きするという話が出てきます。

今となってはよくわからない部分もありますが、
平安時代には何種類もの書体が学ばれていたことがわかります。