『小倉百人一首』
あらかるた
【85】美しきしがらみ
無名作者の有名作
現在「しがらみ」という言葉はよい意味では使われませんが、
百人一首には美しいしがらみが出てきます。
山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり
(三十二 春道列樹)
山中の川に風がつくった柵(しがらみ)は
流れるに流れられない紅葉なのだった
しがらみ(柵/笧)は川の中に杭を並べて打ち込み、
そこに竹や柴などを横に渡して流れをせき止めるもの。
「からませる」という意味の「しがらむ」の名詞形です。
列樹が山中の清流で見たのは紅葉でできたしがらみ。
そしてその製作者が風だったというのが、
この歌の面白いところ。着眼点の勝利です。
『古今和歌集』に採られて有名になったらしく
これに倣ったと思われる歌が次々と詠まれています。
中でも秀逸なのが藤原家隆(九十八)のこの一首。
立田川木の葉の後のしがらみも 風のかけたる氷なりけり
(続後拾遺集 冬 従二位家隆)
竜田川に木の葉の次にできたしがらみも
同じように風がかけた氷のしがらみでしたよ
紅葉のしがらみのなくなった冬、
風は葉のかわりに氷でしがらみをつくっていますよと
列樹に呼びかける内容になっています。
届かぬ我が思い
春道列樹(はるみちのつらき)は百人一首歌人の中で
もっともさわやかな名前の持ち主(個人の感想です)。
そよ風の吹く新緑の並木道を散歩しているかのような名前ですが、
経歴はほとんどわかっていません。
勅撰和歌集への入集もわずか五首。
しかしそのわずかな作品がなかなか魅力的です。
かずならぬみ山がくれの時鳥 人知れぬ音をなきつゝぞふる
(後撰集 恋 春道列樹)
取るに足らないわが身ゆえ 山の奥のほととぎすよ
おまえのように人に知られず泣いて過ごしているよ
身分違いの恋なのでしょうか、
「得難かるべき女を思ひてつかはしける」と詞書にあります。
「数ならぬ身」から「深山(みやま)隠れ」への流れが自然で
わかりやすい恋の歌になっています。
梓弓ひけばもとすゑ我がかたに よるこそまされ恋のこゝろは
(古今集 恋 春道列樹)
梓弓(あずさゆみ)を引くと 弓の本と末がわたしに寄ってくるが
あの人は寄ってきてくれず 夜になると恋心はつのるばかりだ
弓の両端が自分に「寄る」、愛しい人が「寄る」、「夜」という
三段がさねの構造なのに、すんなり読めてしまう恋の歌。
梓弓から恋の心へという意外な展開に作者の冴えを感じます。
「しがらみ」もそうですが、頭の柔らかい
気の利いた人物だったんだろうなと思わせます(勝手な想像です)。
大歌人というほどの存在ではないにしても、
家集さえ遺されていないのが不思議でなりません。