『小倉百人一首』
あらかるた
【87】句切れで読む
句切れのテクニック
いきなりですが、次の二首に共通する表現法は何でしょう。
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山浪越さじとは
(四十二 清原元輔)
誓いましたよね 涙に濡れた袖を絞りながら
末の松山を波が越すことがないように
ふたりの思いも変わることはないと
見せばやな をじまのあまの袖だにも ぬれにぞぬれし色はかはらず
(九十 殷富門院大輔)
お見せしたいものですわ 涙で色の変わってしまったわたしの袖を
雄島の漁師の袖さえ 濡れに濡れても色は変わらないというのに
そう、初句切れですね。
初句(最初の五文字)の終わりに意味の切れ目があるのです。
「誓いましたよね」「お見せしたいものですわ」と
わずか五文字で切ることで強い印象を与えています。
何を誓ったのか、何を見せたいのかが後から出てくるのは倒置法。
これも誓ったこと、見せたいものを強調する効果があります。
歌の途中で意味や調子が切れるところを「句切れ」といいます。
どこで切れてもよいのですが、
初句切れは平安時代になって増え始めたものです。
句切れを意識して読む
和歌では五・七・五・七・七の各句に呼び名があります。
〈上の句〉
五=初句・頭句・起句
七=胸句
五=腰句
〈下の句〉
七=(第四句)
七=結句・落句・尾句
最初の五で切れるのが初句切れ、
五・七で切れると二句切れ、
五・七・五で切れれば三句切れです。
二句切れの例を見てみましょう。
あはずしてこよひあけなば 春の日のながくや人をつらしとおもはん
(古今集 恋 源宗于朝臣)
逢えないままこの夜が明けてしまったら
春の長い一日の間あなたをうらむことになるでしょう
宗于(むねゆき 二十八)の歌の句切れは
〈五・七/五・七・七〉となっています。
次に三句切れの例。
八重葎しげれるやどは人もなし まばらに月の影ぞすみける
(新古今集 雑 前中納言匡房)
幾重にも葎(むぐら)の茂る家には人影もなかった
漏れ注ぐ月の光ばかりが住んで(澄んで)いたよ
大江匡房(七十三)の歌は恵慶法師(四十七)「八重葎」の本歌取り。
句切れは〈五・七・五/七・七〉です。
宗于の二句切れより読みやすい感じがしますが、
それは匡房の手柄ではなくて、わたしたちが三句切れになれているから、
三句切れの歌を多く知っているからです。
そして何より五・七・五の俳句のリズムになれているから。
宗于の歌を「春の日の」で切ると意味がとりにくくなりますが、
五・七・五を一まとまりで読む癖がついていると
つい「春の日の」まで一気に読んでしまうことに。
正しい句切れを意識して読むと、歌の印象が変わるだけでなく、
ピンとこなかった歌がすっと頭に入ってくるかもしれません。