読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【88】五七から七五へ


七五調の誕生

前回の句切れの話題のつづきです。
大伴旅人(おおとものたびと)のこの歌はどこで切れているでしょうか。

湯の原に鳴く葦鶴(あしたづ)は 我がごとく妹に恋ふれや 時わかず鳴く
(万葉集961 帥大伴卿)

湯の湧く野に鳴いている鶴は わたしと同じように
妻が恋しいのだろうね 時を選ばずに鳴いているのだから

第二句と第四句で切れていますね。
この〈五・七/五・七/七〉の構造は『万葉集』に多く、
五七調(ごしちちょう)と呼ばれています。

『万葉集』は長歌も五七調です。

とりがなく東(あづま)の国に 古(いにしへ)にありけることと
今までに絶えず言ひける 葛飾の真間の手児名(てこな)が
唐衣(からぎぬ)に青衿(あをくび)付け…(後略)

田辺福麻呂(たなべのさきまろ)が美少女手児名の伝説を詠んだもの。
五・七/五・七がずっと繰り返されています。

これが『古今集』になると

ちはやぶる 神無月とや けさよりは くもりもあへず
はつしぐれ もみぢとゝもに ふるさとの よしのゝ山の
山あらしも さむく日ごとに なりゆけば…(後略)

作者は凡河内躬恒(おおしこうちのみつね 二十九)です。
五七調がくずれて七五調に移行しつつあります。


猫も杓子も七五調

次の藤原頼実(よりざね)の「忍ぶ恋」の歌は
初句と第三句で切れる〈五/七・五/七・七〉になっています。
この〈七・五〉の部分が七五調です。

知るらめや 木の葉降りしく谷水の 岩間に漏らす下のこゝろを
(新古今集 恋 前太政大臣)

あなたは知らないでしょうね
木の葉が一面に散り敷いた谷の水が岩の間に漏れていくように
人知れずあなたへの思いを顔に出してしまうわたしの心を

たった一箇所ですが、
第二句と第三句が分かちがたく一体化しているのがポイントです。
七五調が定着した『新古今集』にはこのような
初句・三句切れが目立ちます。

よく五七調は重厚、七五調は軽快といわれます。
平安時代の人々には五七調が古くさくて悠長なものに
感じられたのかもしれません。

七五調は一時の流行で終わりませんでした。
それどころか今様、謡曲、浄瑠璃、歌舞伎や
物語の文章などにまで採り入れられ、
日本語表現のリズムを支配するようになったのです。

明治に入っても島崎藤村らが七五調の詩を書き、
昭和になっても歌謡曲が七五調の歌詞を歌い、
標語、スローガンの類は今でも七五調のものがあります。
七五調は日本人の血肉となったといえるでしょう。