読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【89】古事記成立千三百年


最古の和歌を詠んだのは誰か

今年(平成24年)は『古事記』成立1300年にあたり、
関連書籍が相次いで出版されるなど、ちょっとした古事記ブーム。
そこで、突然ですがこれをご覧ください。

夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微尓 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁
やくもたつ いずもやへがき つまごみに やへがきつくる そのやへがきを

漢字ばかりなので読みをつけましたが、
これは『古事記』に載っている和歌です。
『古事記』には古事記歌謡と呼ばれる歌が100以上あり、
その最初がこの「夜久毛多都」。

日本最古の書物で最初に出てくる歌
ということは、現存する最古の和歌なのでしょうか。

作者は天照大神の弟神、須佐之男(すさのお)です。
出雲で大蛇(おろち)を退治した須佐之男は
新妻櫛名田比賣(くしなだひめ)と住まうための宮殿を作らせます。
その時に雲が立ち上ったのを見て詠んだというのが上記の一首。

一般的表記ではこのようになります。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
(古事記歌謡 1)

雲が幾重にも立ち八重の垣根をめぐらせている
妻を籠らせるために わたしも八重の垣根を作るのだ
雲が作ったその八重垣のように


三十一文字の始まり

紀貫之(三十五)は『古今和歌集』の序で歌は天地開闢からあるものとし、
天上界の歌は下照姫(したてるひめ)のものが最初だと言っています。
そして地上界の歌は

あらかねのつちにしてはすさのをのみことよりぞおこりける
(古今集 仮名序)

地上の世界では素戔嗚尊(すさのおのみこと)から始まっている

さらに貫之はこう続けます。
神代(かみよ)の歌は形が定まらず、歌かどうかの判別もむずかしかった。
しかし人の世となり、須佐之男から後は
三十一文字(みそひともじ)で詠むようになったと。

たしかに『日本書紀』の伝える下照姫の歌はどれも不定形で、
五音と七音を組み合わせた快い韻律(=言葉のリズム)を持ちません。

須佐之男も下照姫も神ですから、歌の本当の作者は不明です。
しかし文献に記された五・七・五・七・七の和歌は
貫之が言うように「夜久毛多都」が最古のもののようです。