『小倉百人一首』
あらかるた
【90】モテモテの一人娘
そうよそうよと風が吹く
百人一首には意味のとりにくい歌がいくつかありますが、
大弐三位(だいにのさんみ)の歌もそのひとつでしょう。
有馬山ゐなの笹原かぜ吹けば いでそよ人を忘れやはする
(五十八 大弐三位)
「有馬山から猪名(いな)の笹原に風が吹いてくると」
というところまではすぐわかります。
「どうして人(=あなた)を忘れたりしましょうか」
というのもわかります。
では、そのふたつをつなぐ「いでそよ」は何なのか。
「いで」は「さあ」「ほら」と注意を喚起する言葉、
「そよ」は「そうですよ」「そのことですよ」といった意味で、
風の吹くさまをあらわす「そよそよ」を掛けています。
第三句までが序詞で「そよ」を導いているのですが、
序詞の中の「あり(有)」と「ゐな(否)」が対になっていると考え、
あるのかないのか、本当かどうかもわからない恋を
暗示しているという解釈もあるようです。
貴公子たちのアイドル?
大弐三位は本名を藤原賢子(かたこ)といい、紫式部の娘です。
母親と同じく一条天皇の后彰子(しょうし)に仕え、
のちに親仁(ちかひと)親王の乳母(めのと)となりました。
魅力的な女性だったのでしょうか、
それとも有名人の娘だったからでしょうか、
賢子には多くの貴公子との恋のエピソードが伝わります。
百人一首歌人の権中納言藤原定頼(さだより 六十四)もそのひとり。
二人が交わした贈答歌が勅撰集に遺されています。
梅花にそへて大弐三位に遣はしける
来ぬ人によそへて見つる梅の花 散りなむ後のなぐさめぞなき
(新古今集 春 権中納言定頼)
待っても来ない人の面影をかさねて梅の花を見ていました
散ってしまった後では寂しさをなぐさめる手だてがありません
返し
春ごとに心をしむる花の枝に たがなほざりの袖か触れつる
(新古今集 春 大弍三位)
春が来るたび あなたの家の梅に心を奪われておりました
その枝に だれがかりそめにも袖を触れてしまったのでしょう
軽い気持ちだったのに、今ではあなたが気になってしかたありませんわ。
そんな感じの歌ですが、相手は移り気で知られる定頼、
結局は賢子を悲しませることになってしまいます。
しかし賢子はのちにリッチな高階成章と幸せな結婚をし、
80歳くらいまで長生きしたと伝えられます。
華やかな青春時代を思い出すことはあったでしょうか。