読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【92】地獄から帰った男


能書家だった敏行

京都市右京区にある高尾山神護寺(じんごじ)は
空海、最澄や文覚(もんがく)ゆかりの名刹です。
日本史に必ず名が出るほどなので、ご存知の方も多いでしょう。

国宝が多いことでも有名ですが、
そのひとつである梵鐘には貞観17年(875年)の銘があり、
序詞は橘広相(たちばなのひろみ)、銘文は菅原道真の父是善(これよし)、
揮毫(きごう)は百人一首歌人としても知られる
藤原敏行(としゆき 十八)と伝えられています。

日本三名鐘に数えられ、《三絶の鐘》とも呼ばれているとか。
三絶(さんぜつ)は三つの傑出したものを意味しますから、
宇多天皇の時代の各界を代表する人物ということなのでしょう。
この場合、敏行は歌人としてでなく書家として評価されているわけです。

さて、そんな能書家敏行の不思議なエピソードが
『宇治拾遺物語』に載っています。

ある日敏行は何の前触れもなく、ぽっくり死んでしまいます。
見知らぬ者が敏行をどこかへ引き立てていくのですが、
理由を尋ねるとお前の写経した法華経二百部のせいだと言います。

人に頼まれて書いたのはよいが、
書きながら魚を食い、女に触れて心を奪われていたために功徳がない。
書写を依頼した者たちは極楽に生まれることがかなわず、
修羅の道に堕ちてしまった。彼らは怒り狂っており、
お前の身体は二百に切り裂かれるであろうと。


地獄からの帰還

地獄の役所に着いた敏行は、
自分は四巻経を書いて供養するという願を立てており、
それをまだ遂げていないと言います。その場しのぎの言い訳でしたが、
地獄の役人はその願を遂げさせてやろうと敏行を解放してくれました。

さて、生き返った敏行はいつしか地獄の約束を忘れてしまい、
あの女この女と恋にうつつを抜かし、
歌を詠むのに夢中になっているうちに、
本来の寿命が尽きて死んでしまいました。

数年後、紀友則(きのとものり 三十三)の夢に敏行が現れます。
約束を破った咎(とが)により地獄の責め苦に喘(あえ)いでいるといい、
かつての面影がないほど変わり果てたみじめな姿です。

三井寺の何某という僧に頼んで四巻経を書いて供養してほしいというので
友則が訪ねて行くと、その僧も同じような夢を見ていました。
僧の心を込めた供養のおかげで苦しみは少し和らいだのでしょう、
その後ふたりの夢にあらわれた敏行は
以前よりは穏やかなようすだったそうです。

同じ話が『今昔物語集・本朝仏法部』にもあり、
「愚かなる人は遊び戯れにひかれて、罪報を知らずして
かくのごとくぞありける」と締めくくられています。

書写した経文を寺社に奉納して極楽往生を願うのは、
平安時代の貴族たちのあいだで流行になっていました。
上記はその際の心得を説くための説話だったと考えられますが、
なぜ敏行が「愚かなる」主人公にされたのかはわかりません。