『小倉百人一首』
あらかるた
【93】新春の行楽
唯一の正月の歌
百人一首を季節でみると、秋の歌が最多の16首。
少ないのは夏で、4首しかありません。
そして唯一の正月の歌が、光孝天皇のこの歌。
君がため春の野に出でて 若菜つむわが衣手に雪は降りつつ
(十五 光孝天皇)
あなたのために春の野原に出て若菜を摘んでいる
わたしの袖には雪が降りつづけています
若菜摘みは古典文学にもよく描かれる代表的な正月行事でした。
新年を迎えると人々は野辺に出て食用になる草を摘み、
羹(あつもの=スープ)を作って
その年の新しい生命を身体に満たしました。
この羹がのちに七草粥になったともいわれています。
起源ははっきりしませんが、
新年の野遊びは万葉の時代にすでにあったようです。
日にちは新年最初の子(ね)の日でした。
子の日する野辺に小松のなかりせば 千世のためしに何をひかまし
(拾遺集 春 壬生忠岑)
子の日の遊びをする野辺に小松(=若い松)がなかったら
千年の長寿にあやかるために何を引けばよいだろう
壬生忠岑(みぶのただみね 三十)の歌にあるように、
子の日の遊びというのは、長寿の象徴である松の若木を
根ごと引き抜くというもの。
もとは根の長さで寿命を占う意味があったのだとか。
貴賤を問わない新春のイベント
百人一首歌人の作品をもう少し見てみましょう。
春日野のわかなつみにや 白妙の袖ふりはへて人のゆくらむ
(古今集 春 紀貫之)
春日野の若菜摘みにだろうか
白い着物の袖をひらひらさせて人が行くのは
春日野は奈良の春日山麓のこと。
若菜摘みの場所はどこでもよかったわけでなく、
特定の丘や山麓が選ばれました。
京都では紫野あたりが有名です。
ちなみに貴族の場合はこの歌とちがって、
車を連ねてぞろぞろと出かけていき、
朝から夕方まで、一日中野辺で遊んでいたといいます。
けふよりは子の日の小松引きうへて 八百万代の春をこそまて
(続千載集 賀 前中納言匡房)
今日からは子の日に引いた小松を植えておいて
八百万代(やおよろずよ=はるかに遠い未来)の春を待ちましょう
大江匡房(おおえのまさふさ 七十三)がこのように詠ったためか、
門松の起源は子の日の松を植えたものという説があります。
しかし門の左右に松を植えておいて
毎年の小松引きを省略したという話は聞いたことがありません。
門松は正月に訪れる神のための目印であり、
行事が済んだら燃やして天に返すのが本式なのです。