読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【94】平安朝ソングブック


日本初の詩歌アンソロジー

博学多才をもって知られた藤原公任(きんとう 五十五)には
さまざまな功績があるのですが、
恩恵を蒙った人の数という点では、詩歌の名作選
『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』が群を抜いています。

成立は1013年という説があり、
それが正しければ
今年はちょうど1000年の記念の年ということになります。

タイトルの「和」は和歌、「漢」は漢詩をあらわします。
「朗詠」は声に出して歌うこと。
平安貴族の「管弦の遊び」でよく歌われた人気のある詩歌を集めて
ソングブックにしたものと考えてよいでしょう。

収録された詩歌が当時の有名作、人気作だったというのは、
同時代に成立した『枕草子』や『源氏物語』に
『朗詠集』と同じ作品がたびたび引用されていることからも
想像がつきます。百人一首と同じ作品もあります。

公任は作品を厳選していたため、
『朗詠集』の評価は時代を経ても変わりませんでした。
それどころか、文人たちはもちろんアマチュアまで、
座右に置いて愛読するようになったのです。

収録された詩歌は謡曲や物語、日記文学などに広く採り入れられ、
日本文学に計り知れない影響を与えました。

さらに近世に至って習字や作文の手本にも用いられるようになり、
『朗詠集』は国民的書物に変貌を遂げます。
知っていて当たり前、というところまで行き着いたわけです。


古典を庶民に身近なものに

『朗詠集』によって多くの詩歌が庶民にも親しまれるようになりました。
たとえば志貴皇子(しきのみこ)の和歌。

石(いわ)そそく垂氷のうへの さわらびの萌えいづる春になりにけるかな
(和漢朗詠集巻上 志貴皇子)

岩にそそぐ流れが凍りついた垂氷(たるひ=つらら)の上方にも
蕨(わらび)が萌え出る春になったことだよ

出典は『万葉集』です。庶民にはむずかしい『万葉集』ですが、
『朗詠集』は漢字かな交じり文で読みやすくしており、
この一首を早春の代表的な和歌として定着させました。

桃李(とうり)言(ものい)はず 春幾ばくか暮れたる
煙霞(えんか)跡なし 昔誰(たれ)か栖(す)んし
(和漢朗詠集巻下 菅原文時)

桃や李(すもも)は昔を語らず 幾度の春が過ぎたのかわからない
たなびく煙や霞(かすみ)は跡形もなく
かつて誰が住んだところなのか知る由もない

菅原道真(二十四)の孫、文時(ふみとき)の代表作です。
テキストとして漢字を覚えたり、漢文の手法を学んだりしながら、
人々はこのような名作に親しんでいたのです。