『小倉百人一首』
あらかるた
【50】和歌になった労働者たち
単身赴任のガードマン
百人一首には現代では使われない言葉が多く見られます。
仕事に関する言葉もそのひとつ。
たとえば大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の歌、
情景が想像できますか。
御垣守衛士のたく火の 夜はもえ昼は消えつつものをこそ思へ
(四十九 大中臣能宣)
宮廷の門を守る兵士の焚く火が夜は燃え昼は消えているように
わたしの思いも夜は燃えるほど激しく 昼は消え入るほどに沈んでいます
御垣守(みかきもり)は宮中の門を警固する人。
衛士(えじ)と呼ばれる兵士がその役にあたりました。
衛士は諸国から交替で都に送られ、御垣守のほか
宮廷各所の警備、街路の夜間パトロール、
天皇の行幸の際の警固などを行いました。
能宣の時代には1600人がいたといいますが、
労働条件が厳しく、逃亡者が跡を絶たなかったそうです。
能宣に「夜はもえ…」を導く序詞として使われた衛士は、
日夜酷使される単身赴任の男たちだったのです。
わびしさを演出する海人
衛士よりも和歌によく詠われるのが海人(あま)です。
百人一首では参議篁(さんぎたかむら=小野篁 十一)、
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ 九十)と
鎌倉右大臣(=源実朝 九十三)ですね。
海人は海士、蜑とも書き、現代とちがって
海、川、湖などで生計を立てる人一般を指す言葉でした。
塩焼き(製塩)や船頭も含んでいたので、
曽禰好忠(そねのよしただ 四十六)の「舟人」も
海人ということになります。
海人は悲哀を詠うときに引き合いに出されることが多く、
その営みはわびしくつらいものとされていました。
和歌用語の「海人」のイメージは固定されていたのです。
恋の邪魔者
源兼昌(みなもとのかねまさ 七十八)の歌にある関守も、
海人と同じように哀感を帯びています。
平安時代の関の詳細はよくわかりませんが、
地方の下級役人が関守を務め、
常にだれかが関所に寝泊りしていたようです。
おもな職務は、国から国へ移動する人々の持つ
過所(かしょ)という通行証をチェックして
平民の浮浪、逃亡を防ぐこと。
主要な関には兵士たちが常駐して反乱や盗賊などに備えており、
国境(くにざかい)や峠にあるからといって
わびしいとは限らなかったようです。
関守は男女の逢瀬を邪魔する存在としても
多くの和歌に詠われています。
清見潟あふことなみの関守は わがかよひぢにうちもたゆまず
(新拾遺集 恋 源藤経)
清見潟(きよみがた)の関守はわたしの通り道にいて
油断なく番をしているので お会いすることができません
仕事熱心が恨まれていますが、もちろん実際の関守とは無関係。
関守からすれば、勝手に引き合いに出すなと言いたいところでしょう。
これもまた、和歌特有のイメージの固定化です。