『小倉百人一首』
あらかるた
【51】御教えの歌
百人一首は無宗教?
百人一首歌人には多くの僧、出家者がいますが、
仏教に関連する内容を詠んだ歌はただ一首、
天台座主(てんだいざす)慈円(じえん:1155-1225)の
この作しかありません。
おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染めの袖
(九十五 前大僧正慈円)
畏れ多いことながら 人を導く者として
憂き世の民の上に覆いかけることだ
比叡の山に住むわたしの墨染めの袖を
決意表明の歌なので、仏教的な内容ではありませんね。
ほかに道真や業平の歌に「神」「神代」という言葉が出てくるものの、
百人一首に宗教色の強い和歌が選ばれていないのは
室内装飾が目的だったからと思われます。
仏教的な和歌は釈教歌(しゃっきょうか)と呼ばれ、
万葉時代からずっと詠まれてきました。
しかしその数が増えはじめたのは平安時代になってから。
『後拾遺和歌集』(1086年)以後の勅撰集では
部立が設けられて独立して扱われるようになります。
平安時代にはそれだけ仏教が日常生活に入り込んできたわけで、
歌人たちのものの考え方にもさまざまに影響を与えています。
浸透する仏教思想
百人一首歌人にも釈教歌を遺した人がたくさんいます。
その中からわかりやすそうなものを見ていきましょう。
求めてもかゝる蓮の露をおきて うき世にまたはかへるものかは
(千載集 釈教 清少納言)
帰ってこいといわれても 蓮の葉に置く露のような
ありがたい説経を聴かずに憂き世にもどったりしませんわ
清少納言(六十二)が菩提という寺で結縁の八講を聴聞していたとき、
すぐ帰ってこいと言ってきた人に遣わした返事の歌。
結縁(けちえん)は将来仏門に入るために縁を結ぶこと、
八講(はっこう)は法華経八巻を四日間で講じる催しのことです。
来世(らいせ)の幸福のために、今は出家できないとしても
帰依(きえ)の心を示して縁を結んでおこうというのです。
夢の世に月日はかなく明くれて 又はえがたき身をいかにせん
(新勅撰集 釈教 後京極摂政前太政大臣)
夢のようなこの世に月日ははかなく流れていく
幸いに人として生まれたこの身をどのように生きていこうか
作者は藤原良経(ふじわらのよしつね 九十一)。
当時の仏教では、六道輪廻をくり返すわたしたちは
人間界に生まれることさえまれな、得がたいことと考えました。
その幸運を無駄にしないよう、正しく生きるのが望ましいのです。
憂きもなほ昔のゆゑと思はずは いかにこの世のうらみはてまし
(新古今集 釈教 二条院讃岐)
つらいことも前世からの因果と思わなければ
どうしてこの世の恨みがなくなりましょうか
仏教は因果を説き、現在の不幸は前世の悪業によると考えます。
不幸、不運を恨みに思わず、気にしないようにしなさい、
現世で善因を作っておけば来世で善果が得られるのだから
今のうちに功徳(くどく)を積んでおきなさい。
そう教えられることで、
人々の心は楽になったのかも知れません。