読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【52】引き裂かれた恋〔前〕


名門子弟の悲劇

藤原道雅(ふじわらのみちまさ:992-1054)は
中関白道隆(みちたか)の孫、内大臣伊周(これちか)の子。
申し分のない名門のはずでしたが、4歳のとき祖父が亡くなり、
翌年には父伊周が大宰府へ左遷されてしまいます。

庇護者を失うと、貴族の子弟といえど
たちまち前途に暗雲が立ち込めるのが常でした。

しかし道雅は13歳で従五位下に叙せられます。
貴族としては最下位ですが、その後昇進をつづけ、
25歳で蔵人頭(くろうどのとう)になって
従三位(じゅうさんみ)の位を得ます。
晴れて殿上人(てんじょうびと)になったわけです。

運命が暗転したのはその年の秋でした。
伊勢の斎宮を退いて都にもどった当子(まさこ)内親王と恋に落ち、
それが父三条院の耳に届いて、道雅は左遷されてしまうのです。

内親王は見張り役をつけられ、
道雅に逢うこともかなわない状態がつづいて、
ついには出家して尼になってしまいます。

今はたゞ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな
(六十三 左京大夫道雅)

今となってはただ あきらめましょうということだけでも
人づてでなく 直にあなたに告げる手だてがあればよいのですが

あきらめましょうと言いつつ、道雅はあきらめきれませんでした。
恋も昇進もかなわぬと知って荒れた生活を送り、
「荒三位」「悪三位」などと呼ばれるほど
乱暴狼藉をはたらいていたと伝えられています。


不条理な怒り

道雅には早くから同情が寄せられていたそうです。
斎宮は独身でなければならず、恋愛も厳しく禁止されていましたが、
辞めてからの恋は自由なはず。
三条院はなぜそれほどまでに怒っていたのでしょう。

斎宮が帰京したということは
天皇が替わったことを意味します。

斎宮は天皇の姉妹や内親王のうち未婚の人が選ばれ、
天皇の代理として伊勢神宮で神に奉仕します。
新たな天皇が即位すると、その天皇の姉妹か内親王が
新斎宮として伊勢に向かうのです。

三条院はみずから好んで退位したのではありませんでした。
幼帝を擁立して摂政の地位に就こうとする
藤原道長の圧力に屈して譲位させられたのです。

内親王の帰京は、かわいい娘がもどってきたというより、
譲位させられた無念を助長するものだったかも知れません。
そこに道雅との密通のうわさが立ったのですから、
院のいらだちはさらに高まってしまったのでしょう。

院は病気の悪化にも苦しんでいました。
在位中から眼病をわずらっており、
それが道長に譲位を迫られる理由の一つにもなっていたのです。
院のほうにも同情されるべき事情があったといえます。