『小倉百人一首』
あらかるた
【53】引き裂かれた恋〔後〕
断ち切れぬ思い
『後拾遺和歌集』の恋歌の卷には
「今はただ」を含む道雅の4首がならんでいます。
いずれも内親王との恋の苦悩を詠ったものです。
あふ坂は東路とこそきゝしかど 心つくしの関にぞありける
(後拾遺集 恋 左京大夫道雅)
逢坂の関は東路(あずまじ)に通じると聞いていたけれど
心も尽きる筑紫(つくし)の関だったのか
逢坂と逢ふ、東と吾妻、筑紫と尽くし。
恋人に逢ってわがものとすることのできない苦しさと
心が弱くなってあきらめてしまいそうだという危惧が
ない交ぜになった、せつない恋の歌です。
榊葉のゆふしでかけしそのかみに をしかへしてもわたるころかな
(後拾遺集 恋 左京大夫道雅)
斎宮時代のあなたは榊葉(さかきば)の木綿垂(ゆうしで)を掛け
触れることも許されないお方でした
そんな昔にもどされてしまったような今のありさまです
斎宮は神聖にして犯すべからざる存在でした。
逢瀬をかさねた愛しい人が、まるで斎宮時代にもどったかのように
手のとどかないところに去ってしまったのです。
榊は神事に用いる常緑樹、木綿垂は玉串に下げるもので、
今は紙ですが古くは木綿(ゆう)で作りました。
みちのくのをだえの橋やこれならむ ふみゝ踏まずみこゝろまどはす
(後拾遺集 恋 左京大夫道雅)
陸奥の緒絶(おだえ)の橋というのはこれだろうか
手紙があったりなかったり心をまどわせるから
緒絶の橋は歌枕。今の宮城県古川市にあったとされ、
恋の不安をあらわすのに用いられます。
文(ふみ)と踏みを巧みに掛けてリズムのよい一首ですが、
焦燥感さえ漂い、あわれです。
悲恋の果てに
すさんだ生活が伝えられる道雅、
和歌は心のなぐさめになっていたでしょうか。
生きる望みを失ったかのような、こんな歌が遺されています。
もろともに山めぐりする時雨かな ふるにかひなき身とはしらずや
(詞花集 冬 左京大夫道雅)
寺めぐりするわたしに時雨がついてくるようだ
ふる甲斐のないこの身だと知らないのか
降る峡(かい=山あいの狭い土地)と経る(=生きる)甲斐を掛け、
降り出した時雨を、東山を巡礼する自分の
同行(どうぎょう=巡礼の道連れ)に見立てたもの。
道雅は東山の寺院を巡りながら
何を祈っていたのでしょう。