『小倉百人一首』
あらかるた
【57】女の黒髪 男の黒髪
嘆きの黒髪《1》
ながからむ心もしらず 黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ
(八十 待賢門院堀河)
あなたの心がいつまでも変わらないかどうかわかりません
お別れした今朝はこの黒髪のようにわたしの心も乱れています
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)のこの歌は
崇徳院(七十七)が詠進させた《久安百首》(前話参照)の一首。
後朝の歌(バックナンバー【2】参照)への返歌で、
百人一首の中でもとりわけ色っぽい歌として知られます。
波打つ長い黒髪は女の情念を詠うには適しているのか、
女性歌人の作品に秀歌が目立ちます。
たとえば恋の歌人和泉式部(五十六)は
黒髪のみだれもしらずうちふせば まづかきやりし人ぞ恋しき
(後拾遺集 恋 和泉式部)
黒髪が乱れるのもかまわず横になっていると
この髪を手でかきあげた人が恋しく思われます
黒髪をかきあげて、男は女の顔を見つめたのでしょう。
一夜の余韻にひたる女の想いが伝わる一首です。
ところで、
藤原定家(九十七)が和泉式部への返歌ともとれる
このような歌を遺しています。
かきやりしその黒髪のすぢごとに うちふす程は面影ぞたつ
(新古今集 恋 定家朝臣)
横になるときはいつも 掻きあげたその黒髪のひと筋ひと筋に
あなたの面影が見えるようです
男は女の黒髪の感触を思い出して
愛しさをつのらせていたのですね。
嘆きの黒髪《2》
つづいて男の黒髪を見てみましょう。
まず紀貫之(三十五)の歌から。
ふりそめて友まつ雪は むば玉のわが黒髪のかはるなりけり
(後撰集 冬 紀貫之)
降り始めて(あとから来る)友を待つ雪を見ていたが
わたしの髪が同じように白く変わっているのだったよ
詞書に「雪の朝 老いを嘆きて」とあり、
自分の髪の白いのを雪にたとえています。
「友待つ雪」は興風(おきかぜ 三十四)の「松も昔の友ならなくに」を
意識しているのかも知れません。
次は大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶ 四十九)です。
年をへて星をいたゞく黒髪の ひとよりしもに成りにける哉
(詞花集 雑下 大中臣能宣朝臣)
年をとっても勤勉に働いている黒髪に白いものが交じり
(わたしは)人より下の身分になってしまったことだ
「黒髪の」までが序詞、「人より」と「一縒り」は掛詞、
「黒髪」と「霜(白髪)」は縁語です。
「星を戴く」は「星をかづく」ともいい、
星の出ているうちから星の出るころまで働くこと。
能宣は『後撰集』(951年)の編纂にも加わった有力な歌人でしたが、
官位のほうは思うに任せなかったらしく、
この歌は後輩に先に昇進されてしまった嘆きを詠んだもの。
男の場合、どうも過去の黒髪のほうが歌になるらしく、
色っぽさはまったくありません。