『小倉百人一首』
あらかるた
【60】高砂の松・相生の松
高砂はどこにある
高砂やぁ~ この浦舟に帆をあげてぇ~~♪
謡曲『高砂(たかさご)』。
かつて結婚式の祝言としてよく謡われたので
この歌詞に聞き覚えのある方は多いでしょう。
松の木の下に翁(おきな)と嫗(おうな)を立たせた
「高砂」の人形をご存じの方もあるかも知れません。
播磨の高砂は古来松の名所として知られていました。
歌枕でもあり、「高砂の」は「まつ」や
「尾上(をのへ)」にかかる枕詞です。
たれをかも知る人にせむ 高砂の松もむかしの友ならなくに
(三十四 藤原興風)
(知人は相次いで世を去ってしまい)誰を友としたらよいのだろう
(わたしのように年老いた)長寿の松も旧友というわけではないのだし
藤原興風(ふじわらのおきかぜ)は
高砂の松を長寿の象徴として詠み、
長生きはしたものの寂しいではないかと嘆きます。
しかし長寿は古今を問わず人々の願い。
松の葉が常緑であることも理想の姿と考えられていました。
典型的なところを見てみましょう。
たかさごの松といひつゝ 年をへてかはらぬ色ときかば頼まむ
(後撰集 恋 よみ人知らず)
高砂の松のようにいつまでもとおっしゃいますが
年を経ても松の色が変わらないように
あなたの心も変わらないというのならご信頼いたしましょう
高砂の尾上にたてる松がえの色にやふべき 君が千とせは
(新後拾遺集 慶賀 後二条院)
高砂の頂上に立つ松の木の枝がいつまでも緑であるように
天皇の千歳の御代はゆたかに過ぎていくでしょう
伝説のルーツは古今集?
「高砂やぁ」の歌詞をたどっていくと
高砂を発った舟は住の江(住吉)に到着します。
そこで高砂の松は住の江の松と夫婦であることが判明。
松の木陰を掃き清める老夫婦は、
それぞれの松の精だったのです。
高砂(兵庫県高砂市)と住の江(大阪市住吉区)は離れていますが、
夫婦の愛が山川万里(さんせんばんり)を隔てても通い合うことを
示すと考え、結婚の祝いに歌われてきました。
高砂市の高砂神社に、一つの根元から二つの幹が出ている
相生(あいおい)の松があります。
相生はともに育つことをいい、また
「相老い(ともに老いること)」にも通ずることから、
夫婦和合と長寿の象徴とされています。
「高砂」は幾重にもめでたいのです。
高砂と住の江の松が夫婦だというのは
『古今集』の仮名序にある一節、
「高砂すみの江のまつもあひおひのやうにおぼえ」を
だれかが夫婦であると考えて伝えた話だといわれています。
勘違いだったとしても、めでたい内容は婚礼にふさわしいもの。
長く歌われてきた理由がわかります。
あまくだるあら人がみの あひおひをおもへば久しすみよしの松
(拾遺集 神楽 安法法師)
天上から人の姿となって降りた神が住吉の相生の松となって
ともに生きていると思うと 悠久の時を感じるものだ