読み物

『小倉百人一首』
あらかるた

【62】神々は歌が好き


和歌の奉納

歌や踊り、詩歌などを神に捧げるというのは
世界中の文明に見られる共通点です。
日本でも昔から神に舞を奉納し、祝詞を捧げてきました。

平安時代の後期には、
「神明(しんめい)は和歌をよろこびたまう」といって
歌人たちは歌合で詠まれた和歌を神社に奉納しました。

道因(八十二)はみずから主催した七十五番歌合に
俊成(八十三)の判詞をつけて住吉社と広田社に奉納、
西行(八十六)は自作の歌で歌合を編んで俊成と定家(九十七)に
判詞をつけてもらい、伊勢神宮に奉納しています。

また《俊成五社百首》は
俊成が自作歌各百首を伊勢、賀茂、春日、日吉、住吉の
五つの神社に奉納したものです。

そのうち伊勢神宮に奉納されたひとつを見てみましょう。

けさ見れば霞のころもたちかけて みもすそかはも氷とけゆく
(俊成五社百首 伊勢)

今朝見ると春霞が立ちはじめていて
御裳濯(みもすそ)川も氷が溶けていきます

御裳濯川は伊勢神宮境内を流れる五十鈴川のこと。
「衣」と「裁つ」、「霞」と「立つ」の縁語を掛詞とし、
神宮の春の到来を謳いあげています。


神々との交感

和歌の部立てでは神に関する歌を神祇歌(じんぎか)と呼びます。
神祇は天神地祇(てんじんちぎ)を略したもので、
天の神と地の神、あらゆる神々を指します。

次の歌は広田神社の歌合で詠まれた神祇歌。

おしなべて雪のしらゆふかけてけり いづれ榊の梢なるらむ
(千載集 神祇 権大納言実国)

何もかも雪の白木綿(しらゆう)をかけたようだ
どこが榊(さかき)の梢なのかわからないほどだ

神を讃えているわけでも願を掛けているわけでもありませんが、
神社の境内に降る雪を詠っても神祇歌です。

和泉式部が鞍馬の貴布禰(きぶね=貴船)神社に詣でたとき、
御手洗川(みたらしがわ)に飛ぶ蛍を見てこう詠みました。

もの思へば沢のほたるも わが身よりあくがれいづる玉かとぞみる
(後拾遺集 神祇 和泉式部)

恋に悩む心で見れば 沢に飛ぶ螢の光も
わたしの身体から抜け出した魂なのかと思えます

するとどこからともなく男の声で

おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の 玉散るばかりものな思ひそ
(後拾遺集 神祇)

山の奥に逆巻いて落ちる急流が飛沫を散らすように
魂を散らすほどにもの思いをしないように

『後拾遺和歌集』の左注には
「この歌はきふねの明神の御返しなり」とあり、
式部の和歌に神も和歌で応じたのだといいます。

藤原実定の船が住吉の神に助けられたお話はすでに紹介しましたが、
(バックナンバー《清盛の時代》参照)
昔は神と人との距離がずいぶん短かったのですね。